忠吾は、おのが居間から小庭へ出て戸をしめ、役所の北側の塀を乗り越え、堀川沿いの通路を走って飯田町へ出た。
ここで、彼は用意の風呂敷包みから袴と大小を出して身につけ、役所の提灯へ灯をいれたものである。


役所の提灯に「火盗」と書かれていたことになっているが、史実では、長谷川家の公式の家紋――左三巴藤が描かれていた。いずれにしても、この提灯を認めると番所は「ご苦労に存じます」と自由に通した。地図の緑ドットのところに番所があった。



お茶の水・水道橋(『江戸名所図会』)

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