2003年 3月

――敬称略・逆日付順――



28日〜25日  20日〜18日  3日


3月28日〜25日
2003年03月28日(金) 13:25

〔小房〕の粂八は〔海老坂〕のお頭の配下にも……


発信:江戸・柳原岩井町の裏店住まい おこんさん


しばらくご無沙汰しているうちに、学のないあたしなんか、ちょっと近寄りがたいほどの高尚な内容のやりとりになっているんですね。それじゃ、あたしも負けてないで……と。
文庫巻5[おしゃべり源八]を読みかえしていたら、なんと、あたしのいい人……〔小房〕の粂八つぁんは、2年ほど〔海老坂〕の与兵衛お頭の下でお盗めをしていたことがあるって書かれているではありませんか。このHPの粂八つぁんの年譜には、そのことは記されてませんね。


管理者:西尾からのレス

おそういえば、おこん様、お久しぶりでした。それにしても、ご教示、ありがとうございます。たしかに、

 「伝五郎のいうことに、うそはございますまい」と、これは、むかし伝五郎と共に盗賊・海老坂の与兵衛配下として二年ほどはたらいたことのある小房の粂八のことばである。
([5-4 おしゃべり源八]p145 新装版p153 )

とありますね。年譜のほうはさっそくに補追します。おこん様のように、管理者側の手落ちを補っていただけると、HPのコンテンツがより充実し、全国の鬼平ファンの教典となっていきますです。

 わいわい談議 〔小房〕の粂八 →これをクリック

 わいわい談議 〔海老坂〕の与兵衛 →これをクリック



2003年03月25日(火) 14:51

『御宿かわせみ』桜めぐり

発信:東京在住 ヌマピーさん

友人のモリシュー氏からの連絡で、『オール讀物』に西尾さんの特集が載っていると。早速、手に入れてページを繰ってみた。
なるほどねえ。こういう企画があったのか。
ウォーキングに精を出している身にとっては、実に心そそられる特集だ。時期も絶好。じっくり読んで、歩いてみよっと。

オール読物 4月号(文芸春秋刊)

西尾忠久監修 「御宿かわせみ 桜めぐり」


管理者:西尾からのレス

お目にとまりましたか。じつは、平岩弓枝さんとご縁ができ、そんなことから寄稿することになったのですが、なにを隠そう、コースのほとんどは『鬼平犯科帳』で踏破したものの焼き直しです。
原点はあくまで『鬼平犯科帳』。
ですから、鬼平史跡めぐりウォーキングへもご参加を。砂町文化センター〔鬼平〕熱愛倶楽部と、学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラスは、ウォーキングのみの参加も受け付けていますよ。
日時や参加申し込み法は、このHPのニュースコーナーへアクセスしてください。



3月20日〜18日
2003年03月20日(火) 12:25

「伊沙」の標記例について

発信:静岡県天竜市役所 総務課長 田辺 徹さん

「伊砂」につき、1月21日のコメントで触れた市史編さん室による「天竜市史々料所在目録第6集」に登載されている「伊藤家文書」の伊藤國夫氏のお宅に別紙の資料があり、コピーしてまいりましたが、慶応4年(1868)当時、「伊須賀村」と記されており、この呼称のほうが現在の「伊砂」の呼称との整合性はあるのではないかと思量いたします。



「伊沙」という標記例については、現時点では未確認であります。また、「いすか」「ふなぎら」と訓じるようになったわけについては、現時点ではわかりませんので、もうすこし時間をいただきたいと思います。
追伸:ホームページへの掲載ありがとうございました。職員といっしょに見させていただきました。


管理者:西尾からのレス

公務にお忙しいところ、私たち鬼平ファンのためにお時間をおさきいただき、ありがとうございます。〔伊砂(いすが)〕の善八や〔船明(ふなぎら)〕の島平、〔二股〕の音五郎などが、天竜市の観光資源になったらすばらしいですね。
とりわけ、吉右衛門=鬼平のテレビで、フランキー堺さんが演じた〔伊砂〕の善八は、このシリーズ中の絶品ですから、市の図書館にビデオをお備えになり、市民の方々に観賞していただくとよろしいかと。

  
わいわい談議〔伊砂〕の善八 ←ここをクリック



2003年03月18日(火) 00:02

身延町下山(旧・下山村)のこと

発信:朝日カルチャーセンター〔鬼平〕クラス
   河内三郎さん

昨年11月25日の身延町役場の商工観光担当の方の、「横根村」コメントを補う形にもなりましょうが、同町下山について報告します。
お捜しなのは、文庫巻24[ふたり五郎蔵]に登場する、かつて〔大滝〕の五郎蔵の配下だったことのある、〔下山〕の五郎蔵の出身地を特定するためですね。「下山」は、富士川流域、河内地方の中央部に位置する身延町の北部にあります。旧・駿州往還路ぞいに開けた下山氏の居城…下山城の城下町であるとともに、身延山参詣に訪れた参拝客が舟運で下山宿に入った宿場町でもあります。農地の狭隘な河内地方は、大工、石工、屋根職など農閑稼ぎがさかんでした。中でも下山大工は有名で、名刹といわれる県内の大寺院の建設はもとより、駿河、信濃、江戸、日光方面にまで足跡が及んでいました。江戸期から明治8年(1875)まで下山村。文化初年(19世紀初頭)に戸数 384、人口 1,662。明治8年に栗倉村と合併して福居村。明治29年(1896)に下山村と改称。昭和30年(1955)身延町へ合併。


管理者:西尾からのレス

吉田東伍博士『大日本地名辞書』に、甲州・河内地方の「下山村」が載っていますが、池波さんは、〔下山〕の五郎蔵は「三河の生まれ」(p85 新装p82)と明記されています。しかし、下山大工ということだと諸家へおおぴらに出入りでき、お盗めにはまことに都合がよろしい。生前の池波さんが、河内さんのこのレポートを読んだら、「三河の生まれ」を、さっさと「甲州・河内地方の生まれ」と書きあらためられたことでしょう。



3月27日〜26日
2003年03月03日(月) 11:39

剣客商売 101問


発信:morisyuさん

弥生3月3日、桃の節句の朝、新聞を開くと、おやまぁ書籍広告の中に『剣客商売 101の謎』(新潮文庫 西尾忠久)とあるではありませんか。
近くの本屋さんに駆けつけると、ありました。
カバー表紙に一問「おはるは十九歳、鐘淵の隠宅に小兵衛と住まう。そのとき小兵衛はいくつ?」
西尾さんの早速の問いかけ。
なるほど、そうおいでなさったか。
さーて、「剣客商売 101問」で、何点取れるか。端から読み直すことになるのか。ここは鬼平のHPですが、鬼平も小兵衛も生みの親は同じ、ということに甘えまして……。


管理者:西尾からのレス

さっそくにご購入いただき、ありがとうございます。
原稿は昨年3月に入れていたのですが、TV放映を待っていたのか、やっと1年後に日の目を見ました。
書店では、おかげさまで好調に動いているようで、ホッとしています。
テスト後のmorisyuさんの点数もお寄せくださいね。

『剣客商売 101の謎』(新潮文庫刊)


2003年03月03日(月) 00:21

長谷川家の子孫

発信:谷中のうさぎさん

長谷川家の子孫について教えていただけませんか。
四谷の戒行寺ではわからないらしいです。
うちのお寺は、本郷の西教寺なのですが父の祖母から長谷川を名乗っていたとのことです。その前はお寺の過去帖を見せていただくしかないのですかねえ。
父は神田生まれで明治に生まれました。


管理者:西尾からのレス

長谷川家の子孫……とおっしゃるのは、平蔵家の子孫でしょうか、それとも長谷川・本家のほう?
平蔵家の子孫については、このHPの[有朋(UFO)]コーナーに、「出よ、鬼平の子孫」と題して、長谷川・本家の末裔当主の長谷川雅敏さんのメッセージが載っていますから、そちらをご覧ください。
長谷川・本家のご子孫は、長谷川雅敏さんですが、ご当人のご了解をいただかないとご住所をあかすわけには参りません。
[谷中のうさぎ]さんの菩提寺は本郷の西教寺だとか。銀座の和装小物店[くのや]さんもこの寺の檀家さんでしたね。『日本の老舗』を取材・連載したときに知りました。




お送りいただいたメッセージは、整理・編集して、毎週金曜日にアップします




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