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2003年03月18日(火) 00:02 |
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身延町下山(旧・下山村)のこと
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発信:朝日カルチャーセンター〔鬼平〕クラス
河内三郎さん |
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昨年11月25日の身延町役場の商工観光担当の方の、「横根村」コメントを補う形にもなりましょうが、同町下山について報告します。
お捜しなのは、文庫巻24[ふたり五郎蔵]に登場する、かつて〔大滝〕の五郎蔵の配下だったことのある、〔下山〕の五郎蔵の出身地を特定するためですね。「下山」は、富士川流域、河内地方の中央部に位置する身延町の北部にあります。旧・駿州往還路ぞいに開けた下山氏の居城…下山城の城下町であるとともに、身延山参詣に訪れた参拝客が舟運で下山宿に入った宿場町でもあります。農地の狭隘な河内地方は、大工、石工、屋根職など農閑稼ぎがさかんでした。中でも下山大工は有名で、名刹といわれる県内の大寺院の建設はもとより、駿河、信濃、江戸、日光方面にまで足跡が及んでいました。江戸期から明治8年(1875)まで下山村。文化初年(19世紀初頭)に戸数 384、人口 1,662。明治8年に栗倉村と合併して福居村。明治29年(1896)に下山村と改称。昭和30年(1955)身延町へ合併。
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