2003年 7月

――敬称略・逆日付順――


26日〜21日  19日〜13日  6日  4日〜1日


7月26日〜21日
2003年07月26日(土) 19:10

「おんばあ」から回答

発信:海の家〔富士屋〕のおんばあさん

ホームぺージを見てくれて有難うございます。
〔おんばあ〕は、お母さんのことなのか伯母さんのことなのか、よくわかりませんが、知り合いの秋田の人の会話の中に出てきていたのです。
離婚した姉に代わり、私が育てた甥っ子が、その会話を覚えていて、大きくなるにつれて私のことを「お母さん」と呼ぶのも照れくさいし、「伯母さん」では他人行儀なので「おかあさん」と「伯母さん」を合わせて「おんばあ」になったのだと思います。
それがいまでは、全国的に「おんばあ」になりました。
昨年『ズームイン朝』でテレビ放映され、「おんばあ」が広がり、私が知らない間に、Yahoo!で検索すると「おんばあ」で出てくるそうです。
おんばあより。


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2003年07月26日(土) 18:34

「おんばあ」さまの呼称は?

発信:西尾から「おんばあ」さんへ

07月21日付の越後ノ丸どののおすすめにしたがい、葉山で海の家を営まれている「おんばあ」さんの掲示板へ。

管理人:おんばあ さま
お初でございます。
じつは私、『鬼平犯科帳』のホームページの管理人です。上記のHPで〔小
房〕の粂八という密偵の出生地を推理しており、「小房」が滋賀県蒲生郡蒲生町の字(あざ)ということをつきとめましたが、そこは粂八の「おん婆(ばぁ)」が行き倒れた村のようです。
で、ばあさまのことを「おん婆」と呼ぶ土地を探しておりましたら、こちらの管理人さんが「おんばあ」を名乗っていらっしゃると聞いて「おんばあ」がどの地方の言葉か、お教えを請いにまかり出ました。
ご不審がありましたら、どうぞ、私メのHPへお越しいただき、「わいわい談義」をクリック、[わいわい〔小房〕の粂八]で経緯をお確かめのほどを。




2003年07月24日(木) 01:31

燃ゆおもい……の、もぐさ

発信:佐倉市在住の御台さん

07月19日の森下の〔鬼平〕クラスでのテキストだった文庫巻8[流星]のp134 新装p141 に次のような描写があります。

 長堀(ながぼり)にかかる心斎橋(しんさいばし)・北詰に〔山家屋・仙右衛門(やまがや・せんえもん)〕という艾問屋(もぐさどんや)がある。
 もぐさ(ヽヽ)はいうまでもなく[よもぎ]の別名で、灸(きゅう)にもちいる。近江の伊吹山の名産で、山家屋の看板にも[江州・伊吹山―もぐさ]と大書してあった。
この部分を読んで、ふっと頭に描くのは、百人一首のこの歌です。

 かくとだに えやは伊吹のさしも草 さしもしらじなも ゆるおもいを

さしもぐさ=させもそう(させも草)というキク科の植物で、よもぎの種類です。万葉植物園にいくと実際に栽培されているとのこと。
残念ながら[流星]には、燃ゆる思いをぶつける恋の場面はありませんが、この私だったら……さりげなく挿入してしまいますね。
百人一首の中では有名な歌に入ると思いますが、池波先生は、伊吹山のもぐさ、から、この歌を連想出来なかったものでしょうか。


管理者:西尾からのレス

うーん、ぼくは池波さんではないので……。
でも、美術大学でクラスをもっていたとき、学生たちにこんなことを教えました。
「レイアウト layout は、 lay(置く。飾る)という語と、 out(除く)から成っているのに、レイレイの、いわゆる〔無用なおしゃべりデザイン〕が多い。アウトを忘れないように。アウトをするから正確に伝えられる」

伊吹山のもぐさ例。『江戸買物独案内』(1824)より。
池波さんは『浪華買物独案内』から採ったと推察。




2003年07月22日(火) 21:02

鬼あざみ清吉の墓、諸田玲子さんの作品

発信:学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス
   堀 眞治郎さん

07月13日付の諸田玲子さんの「鬼あざみ」に関するコメントを読ませていただきまして、そういえば〔鬼坊主〕のお墓が私の散歩コースの一つ、雑司ヶ谷霊園にあったのを思い出し、写真を撮ってきました。




雑司ヶ谷霊園の〔鬼坊主〕の墓

元は浅草・吉野町の圓常寺にあったそうですが、大正 2年にこの寺の移転に伴い、雑司ヶ谷に移ってきたようです。霊園内のいちょう通りの墓地番号 1種 8号 5側に入口案内がありますので、すぐにわかると思います。
近くには夏目漱石、竹久夢二の墓もあります。夏目漱石の菩提寺は小日向水道端の本法寺だそうですが、墓はここ雑司ヶ谷霊園に在ります。
諸田玲子さんは、上智大学の英米文学科を出られた異色の時代小説作家として最近売り出し中の方ですね。
学習院の鬼平講座のクラスメートである〔兎忠の姉上?〕こと木村さんのご先祖と同じ御鳥見役の奥方様が主人公である【お鳥見女房】【螢の行方―お鳥見女房】(新潮社)も書かれています、御鳥見役の公のお役目とは別に、裏の任務として幕府隠密という役目を持たせた面白そうな作品らしいので、本日帰りに購入してきたところです。
御鳥見役に幕府隠密の影御用を持たせた作品は幻冬社文庫の黒崎裕一郎の作品以外は知りませんので楽しみです。


管理者:西尾からのレス

おや、刑死者〔鬼坊主〕にも墓はありましたか。池波さんの「鬼坊主の女」のお栄は、小悪者の六太郎に殺されたとばっかりおもっており、墓を建てる者はいない……と推察していましたが。一味の生き残りの者が建てたのでしょうか。
夏目漱石の香華寺は小日向水道端の本法寺――本法寺といえば、〔鬼平〕クラスの史跡ウォーキングで表敬訪問をして茶菓のおもてなしを受けた寺でしょ? あのとき、住職はそんなこといいませんでしたね。遅かりし……です。

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2003年07月21日(月) 17:43

「おん婆」のこと

発信:越後ノ丸さん

「おん婆」についてですが、私の実家である新潟県北蒲原郡ではこのような言い方はしません。
「ばさま」「ばばさ」です。ためしにYahoo!で「おんばあ」について検索したところ、興味深い記事がいくつかありました。

■冨士屋のホームページ
http://members.jcom.home.ne.jp/onbaa/
管理人は「おんばあ」さん。葉山で海の家を営まれているそうです。プロフィール等は掲載されていませんでしたが、直接お問い合わせになると何かヒントがあるかも。

■ゆうYOUみやぎ(NHK仙台局)のページ
この中の投稿句に「おんばあ」という言葉がありました。
なお、「おんばあ」の発音についての想像ですが、「ん」は多分、小さく軽く発音するのではないかと思います。
たとえば、うちの実家地方で使われる「ばばさ」にしても、「ば」と「ば」の間に軽く小さい「ン」が入ります。「ばンばさ」というのが文字で表すと一番近いかもしれません。なので、文字で表すと「おんばあ」よりも「おンばあ」の方が実際に近いのでは、と推測します。


管理者:西尾からのレス

越後ノ丸どの。そういえば、新潟県も雪国でしたね。
『鬼平犯科帳』で幼い〔小房〕の粂八を連れていた「おん婆」には、雪のイメージがあります。
で、雪国で「おん婆」というのはどのあたりか、調べています。湖北の越前あたりかな、とも思ってみるのですが、越前には知り合いなくて……。

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7月19日〜13日
2003年07月19日(土) 03:14

[岩本町]駅ギャラリー、見ました。

発信:cさん

勝手なご報告させていただきます。

(その1)
本日[岩本町]駅のプロムナードギャラリーと、前々から行ってみたいと思っておりました[池波正太郎記念文庫]を初めて見てまいりました。
このサイトの『テーマ画廊』を拝見しまして、どうしても実際の目で見たくなりました。元の絵ですと、素晴らしい絵なのでしょうが、お恥ずかしながらどうしても想像力も足りないものですので、遠い過去の難しいものとして見てしまうものが、色が加えられると本当にぐん! と身近になるのですね。じかに見れてよかったです。
[池波正太郎記念文庫]では、ちょうど帽子で扇子をお持ちになった非常に灰汁抜けた感じの方が本当に熱心にご覧になっているところに遭いました。こんなに熱心なファンの方と同じ場所・時をご一緒できたという、なにかこう特別の思いがしました。見た感想は、なんと言っていいか・・ちょっとまとめられないです。時代小説コーナーで西尾先生の本も見まして、こちらもとてもうれしく一人で笑っておりました。

(その2)
先生にリンクしていただいたのがうれしく、これまで自分のHPのことを話していなかった読書好きの富山・高岡の叔父にメールしました。
残念ながら鬼平シリーズは全作読んでいないそうなのですが、すぐに以下文章が送られてきました。


“越中井波”について、池波正太郎さんが書いた文章より
私の母方の先祖は、小さな大名の江戸詰の家来だ。
父方の方は、越中の井波から、天保年間に江戸へ出てきた宮大工である。
したがって、私には東京以外の故郷をもたぬし、親類もなかったために、太平洋戦争中は疎開する術を知らず、男達が戦争に出ていった後、祖母と母は、空襲に追われながら転居を重ね、三度も家を焼かれた。
「あのときほど、自分の田舎が欲しいと思ったことはない」と母はいう。
戦後になり、父方の伯父が北陸地方へ旅したついでに井波へ立ち寄り、池波家のことを町役場で尋ねてくれたが「いまは、一人もいないさうだよ」と帰郷して、私に告げた。そのことを何かの雑誌に書いたところ、井波の歴史民族資料館の館長さんが読んでくれ、親切にも私の先祖のことを調べてくださった。
それによると、わたしの先祖は明治30年に死去した宮大工・池尻屋宗七(いけのしりやそうしち)こと池波宗七の親類であったようだ。
井波では、宮大工にも屋号がついていたそうな。
井波は、昔から大工のさかんなところで、いまも、井波の木彫は有名であり町の通りの両側には木彫師の家が軒を連ねている。
通りを突き抜けると、14世紀に本願寺五世の綽如上人が勅許を得て創設した瑞泉寺の重層伽藍が威容をあらわす・・・・・。



・・・となっています。池波正太郎氏は富山県にゆかりのある人のようですね。もう承知済みかな‥‥でも、割合隠れた情報かも‥‥。

お恥ずかしながら私は読んだことがない文章でした。
どの作品からの引用かを改めて聞こうと思っています。
叔父も早速このサイトを見てテーマ画廊の彩色図にも大変興味を持ったようでした。


管理者:西尾からのレス

[岩本町]駅のプロムナードギャラリーでやっている「江戸のむかし」展、見てくださったのですね。ありがとうございます。
このHPの[テーマ画廊]の『江戸のむかし』は、さらに塗り絵がふえる予定です。

 テーマ画廊「江戸のむかし」←こちらをクリック

読書好きの富山・高岡の叔父どのが引用なさった文章の出典はまだ確認していませんが、同様の内容のものは、朝日文庫『池波正太郎自選随筆集(1)私が生まれた日』(1996.06.15)の「越中・井波――わが祖先の地」にも書かれています。


朝日文庫『池波正太郎自選随筆集(1)私が生まれた日』
また、最近出てみ未刊エッセイ集[5]『作家の四季』にも
「越中・井波」のタイトルでの同様の内容の文章が収録されています。
高岡の叔父どのからの、出典のご教示が待たれます。




2003年07月17日(木) 14:13

人形町でうさぎ饅頭見つけました

発信:三楽亭靖酔さん

左党の私がうさぎ饅頭を見つけました。
明治10年(1877)創業の人形町の三原堂本店にありました。第一発見者は私でなく同行の妙齢の女性です。
三原堂の看板商品は「御守最中」で、開業当時水天宮への一般の参詣は五の日のみ、五の日以外に参拝のこられる人のために三原堂本店で水天宮さまの御守をおわけしていたそうです。
その後、参拝客が増え門前の商店街も栄えましたので、水天宮様のお許しを得て、最中の皮にお守りの護符を型取り人気商品銘菓「御守最中」の由来ですが、さて「うさぎ饅頭」の歴史は浅く10年ほど前からつくり始めたよし。
食べて写真がないのが残念。
目と耳が赤で描かれてあんこは黒のこしあん。
1個200円です。賞味期間は2日
1日の作る数がわずか20個ほどですから要予約です。
場所は水天宮交差点の角、電話03-3666-3333


管理者:西尾からのレス

写真がないのが残念。左党の靖酔さんが食べてしまったとは、ねえ。ま、手をつくしてみましょう。

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2003年07月16日(水) 17:12

長谷川平蔵の源――初瀬川

発信:管理者・西尾から

西宮市の円満字さんのご教示のサイトに行って、驚愕!
いや、ロケ地案内もさることながら、サイトトップ→川→大和川→上流、で、なんと、長谷寺門前町と初瀬峡谷が写っているではないですか。
初瀬川といえば、長谷川家の姓の基になっている川ですからね。いつか訪ねてみたいとおもっていた川の一つに、こんなふうに簡単にお目にかかれるなんて。
制作なさった管理人さんに大感謝!



2003年07月16日(水) 07:36

時代劇のロケ地

発信:西宮市在住 円満字正通さん

お久しぶりです。
先刻ご承知かもと思いますが、インターネットをぶらついていたら、次のようなものが目にとまりました。
下鴨糺の森が江戸で「鬼平」の舞台になっているのを見て、ふとあなたの事を思い出しましたので一筆。

 時代劇ロケ地資料
 http://www80.sakura.ne.jp/~agua2/film/data.html


管理者:西尾からのレス

朝からネット・サーフィン……旺盛な好奇心は、相変わらずですね。いや、感服、感服。
ご教示に従い、さっそく、アクセスしてみましょう。

 わいわい談議 『鬼平犯科帳』←こちらをクリック



2003年07月13日(日) 6:05

佐嶋忠介は高橋悦史

発信:長屋の隠居さん

「消えた男」のビデオを繰り返し見て、やはり佐嶋忠介は高橋悦史さんだと、追慕の念を強くしました。
配役上も長谷川平蔵の中村吉右衛門さんよりも年配で、しかも出しゃばらず、忠実で素朴、謹直の人であり、苦労人で怠らず、統率力もあり長谷川平蔵の信任を裏切らず、第6シリーズまで登場し、不幸にして途中で亡くなった方。「佐嶋で保つ堀帯刀」と長谷川平蔵がとくに願って貰い受けた人を忠実に演じ、のちにほかの役者に代替えしてもイメージがつづかないというのは本当に寂しい気がします。役者は沢山いるけれど、原作に忠実にその雰囲気を実現できる役者はあまりいません。
 わざと惚けたり、野暮な態度をとるのも高橋さんの演技の中だったのでしょう。


管理者:西尾からのレス

佐嶋忠介役は、

佐嶋役 鬼平役
平田昭彦 松本幸四郎
黒川弥太郎 松本幸四郎
小泉 博 丹波哲郎
高松英郎 萬屋錦之介
高橋悦史 中村吉右衛門

と、なっています。
ご隠居のおっしゃるとおり、高橋悦史さんがもっとも原作の雰囲気に近かったようにぼくも思います。高瀬監督に聞いたところでは、高橋悦史さんの死を悼んで佐嶋忠介役は永久欠番にすると決まったそうですが、鬼平が変わればまた、新しい佐嶋忠介が誕生してもいいともおもいます。
『「鬼平」を極める』(フジテレビ出版 1994.05.20)で高橋悦史さんは冗談めかしてこんな発言を。

「長年筆頭与力をしているのに、佐嶋は血のめぐりが悪い(笑)。鬼平に何か言われて『ハァ』ということがある。脚本によっては、ちょっと三枚目な時もあってね。イメージが定まらない役でして」

名参謀的な発言は、たしかに少なかったですね。
堀帯刀組から借りられていますが、堀組は先手弓の第1番手で、そのときの佐嶋の住まいは、いまの新宿区二十騎町です。あそこは2組の与力屋敷でした。

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2003年07月13日(日) 10:23

[葵小僧]と[鬼坊主の女]

発信:管理人の西尾の文庫紹介

池波ファンなら、1960年(昭和35年)――すなわち、『鬼平犯科帳』が連載される8年前、池波さん37歳のとき、
『週刊大衆』11月07日号に[鬼坊主の女]が発表されたことはご存じですね。
それから 4年後の『週刊新潮』01月06日号に、葵小僧を主人公にした[江戸怪盗記]が載りました。は『鬼平犯科帳』文庫巻2の[怪盗葵小僧]は[江戸怪盗記]が倍の分量に改められたもの。
この葵小僧と、鬼坊主、そしてその女をからませた諸田玲子さんの長編『鬼あざみ』が、こんど講談社文庫に。


講談社文庫(2003年06月15日刊)\667

鬼平ファンなら鬼平を下敷きにしての諸田さんの取材ぶりが楽しめるが、「ほころび」も目につきます。
作中に登場する火盗改メ方与力・奈那木裕之助は、先手弓組・戸川大学逵旨(みちよし)の配下。
実在の戸川大学は弓組でなく鉄砲(つつ)の第12組で、拝領屋敷は(千代田区)五番町。年齢も57歳に達しており、 6歳年長の北町奉行・小田切土佐守直年に食ってかかれるほどに血気さかんであったかどうか。
また、組屋敷は牛込天神町ではなくて牛込榎町。
ま、大筋には関係ないこういった些事は無視、ヒロインおもんの奔放な悪(わる)ぶりに瞠目しましょう。
そうそう、鬼坊主が市中引きまわしのときに辻々で朗々と詠みあげた辞世の歌「武蔵野に名もはびこりし鬼あざみ、今日の暑さにちいと萎れる」は実話なんですね。井家上隆幸さんの解説で『大日本人名辞書』の「鬼坊主清吉」の項に出ていると教わりました。


[鬼坊主の女][江戸怪盗記]は、角川文庫『にっぽん怪盗伝』に収録
(1972年12月20日刊 現在の定価は不明)




7月6日
2003年07月06日(日) 13:17

尊氏とはだれ?

発信:佐倉市在住の御台さん

お城めぐりメーリングリストのメンバー(海外をふくめて全国に会員が 500名以上いる)へ、「江戸名所図会にみる江戸のむかし」というタイトルで[テーマ画廊]のことを知らせました。
ここのメンバーはかなりマニアックで、「隅田川合戦」の解説文に「北条尊氏」とあるのは、北条氏康とか氏邦?
それとも足利尊氏? と、つっこみが入りました。


管理者:西尾からのレス

あ、そそっかし、やっぱり、やっちゃいました! ご指摘のとおり「北条尊氏」は「足利尊氏」の間違いです。さっそくに訂正します。ご教示、ありがとうございました。



7月4日〜1日
2003年07月04日(金) 19:43

藤原秀郷の肖像画

発信:居眠り隠居さん

病院へ行ったり,来たり、で、
PCも禁止されていている状態です。

こうなる前に、藤原秀郷の肖像画と、秀郷を祀った佐野市唐沢山神社について送信を試みましたが、悲しいことに隠居の手慰みでは、技能不足で送信不可能でした。
肖像画は、野口実著『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文舘)の口絵からです。
丹波園田氏旧蔵。『園田氏三祖公肖像』の秀郷像(群馬県立歴史博物館蔵)なかなか立派なものです。
[参考データ]コーナーの「三人の平蔵」で、千葉県九十九里町の片貝、成東町の寺崎が長谷川家の知行地と知りました。
片貝は、遠く若き日に毎夏、週末ごとに訪れた思い出の地です。片貝で太平洋の潮騒を枕として静かに眠っている莫逆の友の墓参もかね、体調回復を待って、近日中にぜひ行って参りたいと思います。
おなじく[参考データ]コーナーの「鬼平を斬る!」には伊能忠敬が娘婿・盛右衛門に宛てた書状の件が載っておりますが、忠敬も片貝の生れですから、行けば何か収穫があるかも知れません。


管理者:西尾からのレス

ご体調、まだ本調子ではないのですね。しっかりご養生ください。
さて、秀郷の肖像画、いいお話ですが、著作権・所有権のことがあり、ネットへのせるには所有者の許可が必要かと思います。(近いうちに、この分野の権威で、知りあいの日本ユニ著作権センター宮田代表に聞いてみます)
片貝に行かれたら、デジタル・カメラでも銀面でもよろしいから、長谷川家の知行地とおもわれそうな田畑の写真を撮っておいてください。
ぼくも、片貝・寺崎の取材を考えてはいるのですが、いまは、今川での長谷川家の石高(当時は貫?)、正長を家康へ引きあわせた徳川方の武将、三河時代の石高を調べたくて静岡に通っており、時間がとれなくて。
ご回復、1日もはやいことを期待しています。

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2003年07月03日(木) 06:30

[江戸のむかし]展が朝日新聞の記事に

発信:管理者の西尾から

今年は「江戸開府 400年」にちなんださまざまな催しが行われいます。
朝日カルチャーセンター(新宿)の〔鬼平〕クラスは、『江戸名所図会』の中に、[400年」より前の絵が数十景あることに目をつけ、その中から20余景塗り、都営地下鉄新宿線[岩本町]駅のプロムナードギャラリーに展示することが、朝日新聞に紹介されました。



朝日新聞07月03日付朝刊


期間:平成15年7月6日(日)〜8月2日(土)
時間:地下鉄の運行時間中
備考:観覧無料




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