2004年 4月

――敬称略・逆日付順――


23日  16〜12日  9日


4月23日
2004年04月23日(土)  11:53

『鬼平犯科帳』の朗読カセットテープ

発信:森下文化BC〔鬼平〕熱愛倶楽部 靖酔さん

谷CD-ROM,DVDが主流の昨今ですが、十数年前まではカセットテープとビデオが全盛でした。
人気絶大だった池波小説を古今亭志ん朝が朗読するという両者のファンにとっては垂涎の的のカセットテープがュ)文芸春秋より刊行されてました。刊行順に、

[本所・桜屋敷]A面29分50秒B面28分38秒 \1600
[埋蔵金千両] A面29分30秒B面29分20秒 \1600
[盗法秘伝]  A面26分05秒B面25分30秒 \1600
[血闘]    A面25分00秒B面24分05秒 \1602+税


因みに「本所 桜屋敷」の外箱には「火付盗賊改方のお頭・長谷川平蔵、人呼んで“鬼の平蔵”の活躍で人気無類のシリーズいよいよスタート! 
 まず口切は平蔵若き日の姿が重なる就任後初の事件から」とかかれてます。
4巻まで出たところで休止になった理由はわかりませんが今では貴重なテープとなりました。
消費税の制定が1988年ですから発行時期は1986年か1987と推測されます。


古今亭志ン朝の朗読[文春カセットライブラリー]

『オール讀物』の1987年12月号に「女密偵女賊」が連載されてます。
池波さんのテープではこの他に新潮社より短編[恋文]と[上意討ち]がほぼ同時期にフランキー堺の朗読で1巻出ています。
『完本池波正太郎大成別巻』の書誌と年譜にはこのテープに関する記載事項がありませんでした。
また志ん朝のかなり詳しい年譜(雑誌『Switch』1994年1月号特集古今亭志ん朝)にも記載がありませんでした。
幻のテープになりそうです。


管理者:西尾からのレス

たしかに、貴重で珍重すべきブツですね。靖酔さんのファン年期をうかがわせます。
朗読といえば、ぼくは、橋爪 功さんと二木てるみさんによる『鬼平犯科帳』CD10本( CBSソニー)を所有しています。 TBSラジオで放送されたもののCD化です。

[血頭の丹兵衛]  前編24:13 後編23:36
[老盗の夢]    前編23:47 後編24:49
[暗剣白梅香]   前編23:58 後編23:58
[蛇の眼]     前編24:07 中編22:19 後編24:19
[谷中・いろは茶屋]前編24:01 後編24:14
[女掏摸お富]   前編24:16 後編23:53
[妖盗葵小僧]   その117:45 その216:37
          その319:00 その420:33
[密(いぬ)偵]  前編24:23 後編23:57
[埋蔵金千両]   前編24:19 後編21:42
[盗法秘伝]    前編24:06 後編22:12



橋爪 功&二木てるみ朗読のCD



4月16〜12日
2004年04月13日(火)

『映画を食べる』(河出文庫)

発信:管理者の西尾

池波さんの『映画を食べる』が河出文庫となってこの 4月に刊行されました。


『映画を食べる』(河出文庫 \760+税)

池波さんの「映画」本はいくつも文庫化されており、手元にあるものだけでも、

 『池波正太郎のフィルム人生』(新潮文庫 1983.06.25)
 『映画を見ると得をする』(新潮文庫 1987.07.25)
 『フランス映画旅行』(新潮文庫 1988.06.25)
 『池波正太郎の映画日記』(講談社文庫 1995.10.15)


じつをいうと池波さんとのかかわりは、映画でした。20年ちょっと前に、10年間ほど、「読売映画広告賞」の審査員を落合恵子さんらとごいっしょさせていただいたのです。席上、池波さんは、広告も評価以上に映画の出来のよしあしを口にされていました。
審査員ということで、各配給会社から試写の案内が送られてきたので試写室へよく出かけました。映写が終わり明かりがつき……ふり返ると、右手最後列の池波シートで余韻にひたっておられることが多かったのですが、そこでは目でのあいさつにとどめ、余計なことは口にしないようにしました。感想は池波さんのエッセイで読めばいい、と断じていたからです。

淀川長治さんの巻末の「(解説にかえて)思うこと」に、「映画の欠点のみをとくいげに掴みだすプロ批評家と自認する者がある」
池波小説を読む時にも肝に銘じておくべき一節ではありますな。



4月9日
2004年04月09日(金)

雉の宮の今昔

発信:管理者の西尾―――

『仕掛人・藤枝梅安』(講談社文庫)から、ちょっと長めですが、梅安の住まいの記述を引用します。

 品川台町の通りを南へ下った左手に、〔雉子(きじ)の宮〕の社(やしろ)がある。
 ものの本に、

「このあたりは北品川領、大崎という。慶長のころ、将軍家御放鷹(ごほうよう)のとき、この社へ雉子(きじ)一羽飛び入りたり。そのとき神名(しんめい)を問(と)われしに,このあたりの百姓たち、山神(やまのかみ)の祠(ほこら)なるよし申しければ、以後は雉子の宮と唱(とな)え申すべきむね、上意ありてより、かく号(なづ)くるという」
 などと、しるしてある。
 別当は宝塔(ほうとう)寺といい、丘の上の社殿を仰ぐ鳥居の右手に、その本堂があった。
 鍼医者・藤枝梅安の家は、この雉子の宮の鳥居前の小川をへだてた南側にある。わら屋根のちょっと風雅な構えの小さな家で、こんもりとした木立にかこまれていた。

巻1[おんなころし]p12

梅安の住まい兼施療室を、いまは広い桜田通りに面する〔雉子の宮〕の南がわに池波さんが置いたのは、『江戸名所図会』の雪景色に魅せられたからと察しています。
〔ものの本〕とは『名所図会』のことです。


長谷川雪旦の絵筆による『江戸名所図会』〔雉子の宮〕

長谷川雪旦の絵筆による江戸の風景を、 670景ほど収録している『名所図会』ですが、雪景色はこの〔雉子の宮〕をふくめてもわずかに10景です。中では〔雉子の宮〕の絵がもっとも雅趣に富んでいます。
雪景色〔雉子の宮〕に惚れこんだ池波さんは『剣客商売』(新潮文庫)でも、手裏剣の名手・杉原秀を同じ絵の中に住まわせます。

 品川台町の外れの〔雉子(きじ)の宮〕の社(やしろ)と道をへだてた西側の畑道をすこし入ったところに百姓家を改造した道場らしきものがある。
巻5[手裏剣お秀]p137 新装p148

つまり、梅安の家は神社の南がわ――雪旦の絵でいうと右手の集落の中の一軒、お秀の道場は西がわ――左手に群れている農家の一つというわけです。

この〔雉子の宮〕――現在の〔雉子神社〕へ15年前の秋に参詣、拝殿は木立の中に鎮座していました。


1988年撮影の雉子神社の社前


ところが数年前に境内全体がマンションとなり、本殿と拝殿はその1階の吹き抜けのところへ新築されました。



桜田通りに面した雉子神社の鳥居とマンションビル


マンションの中に鎮座する拝殿

時代の流れとはいえ、池波さんがご覧になったらなんといってお嘆きになることでしょう。





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