2004年 5月

――敬称略・逆日付順――


17〜15日  5月14日  5月7日


5月17〜15日
2004年05月17日(月)  20:09:18

京都府の〔亀岡〕

発信:長澤明子さん

文庫巻18[蛇苺]に出てくる、通り名が〔亀岡〕の久兵衛という大坂の主領について、京都府内の亀岡の出身であろうが、亀岡市の旧名は「亀山」。いつ「亀岡」と改名したかとの問いかけが、[週刊掲示板]にでていました。京都の住人ではありませんが、ネットで検索の結果、亀山は廃藩置県後伊勢亀山とだぶり、相手が6万石、丹波は5万石なので、譲って亀岡としたとあります。
保津川下りの船頭さんは、山より低い岡にしたといっていました。


管理者:西尾からのレス

長澤さん、ありがとうございました。ははーん、そうしますと年代的にいって、〔亀岡〕の久兵衛をいちがいに京都府出身ときめつけるわけにはいきませんね。でも、関西圏にはほかに亀岡という地名はなく、香川県高松市亀岡町がありますが、江戸期にも存在していた町名かどうかは未祥です。

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2004年05月15日(土)

「長伝寺」と「長善寺」

発信:学習院生涯学習センター[鬼平]クラス.
   堀 眞治郎さん

『江戸名所図会』の「麻布一本松」の絵の、名物松のたもとの茶店の看板には〔ふじ岡〕の屋号が記されています。そのことに気づいた池波先生は、文庫巻9[本門寺暮雪]p140 新装p148 で、〔凄い奴〕を、わざわざ、その〔ふじ岡〕へ入らせ、裏から消えさます。
この一事をみても、池波先生が、いかに入念に『図会』の絵を見ておられたということがわかります。が、同じ絵の左端の寺には「長伝寺」と寺号が書かれているのに、[本門寺暮雪]でも、文庫巻21[麻布一本松]p80 新装p82でも、「長伝寺」を「長善寺」とされているのは、どういうわけでしょう?


麻布一本松(『江戸名所図会』)


〔ふじ岡〕


「長伝寺」


管理者:西尾からのレス

池波さんがもっぱら愛用されていた切絵図は近吾堂近江屋板でした。この近江屋板が「長善寺」と誤刻しているのをそのまま写してしまった……。『図会』の茶店の看板の〔ふじ岡〕に気づいたのはそのずっと前で、いつか小説の中で使ってやろうと、いたずらっ子のように考えいたのでしょう。で、執筆時には[麻布一本松]の寺号を確認しなかった、と解釈しました。

「長善寺]と誤刻した[麻布・広尾辺図](近江屋板・部分)

屋号のことでいうと、『図会』の目黒の「太鼓橋」の橋ぎわのしるこ餅が名代の茶店の屋号も、池波さんは『剣客商売』文庫巻5[手裏剣お秀]p147 新装p161 、文庫巻9[秘密]p149 新装p161 で使っています。


「太鼓橋」(『江戸名所図会』)


〔正月屋〕の看板

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5月14日
2004年05月12日(水)

哀悼 大石慎三郎先生

発信:管理者の西尾

いちど伺ってお話を拝聴したい、とおもいつづけていた大石慎三郎先生が10日、心筋梗塞で亡くなられました。80歳でした。謹んで哀悼の意を表しご冥福をお祈りします。

お伺いしたかったのは、先生が序文を寄せられた後藤一朗氏の『田沼意次――ゆがめられた経世の政治家――』(1971月 9月 清水書院)の前に、高著『田沼意次の時代』(1991年12月18日 岩波書店)でお書きになった内容の一端でも発表されたことがあるか、ということでした。

『田沼意次の時代』は、田沼は世間でいわれているような賄賂政治家ではなかったと、常識に反論した画期的な労作です。


大石慎三郎『田沼意次の時代』(1991.12.18 岩波書店)

『鬼平犯科帳』と5年後に連載が始まった『剣客商売』(1972)とでは、池波さんの田沼意次観がまるで異なっています。これに大石先生の所説に拠るところがあったかどうかの推察の手がかりをつかみたかったのです。池波さんの蔵書が台東区へ寄贈されたままいまだに公開されていないために、立てた手だてだったのですが、永久に閉ざされました。
自分の怠惰を責めるばかりです。


大石慎三郎『江戸転換期の群像』(1982.04.23 東京新聞出版局)

大石慎三郎『元禄時代』
(1970.06.25 岩波新書)
大石慎三郎『大岡越前守』
(1974.04.22 岩波新書)



5月7日
2004年05月07日(金)

三方ヶ原合戦の武将の戦死者

発信:管理者の西尾

三方ヶ原合戦での徳川方の武将の戦死者を、各文献から拾ってリストにしてみました。

あ行
四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
秋山甚十郎  
天野麦右衛門政景
三河で50石、関東で 550石
荒川甚太郎 忠勝譜
安藤木工助基能(旗奉行)
石川小大夫
石川半三郎正俊
石原十度右衛門
岩堀勘解由左衛門父子
宇野三十郎政秋
江原亦助
大河内源五左衛門
大久保新蔵忠寄
大橋刑部
大村弥三郎
大村弥七郎安綱
小笠原新九郎康元
小笠原三郎兵衛
小笠原七郎右衛門
小川伝九郎

か行
四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
加藤九郎兵衛景元
加藤比根丞
加藤源四郎
加藤九郎次郎
河澄源五重経
(源五郎重通成)
河合弥五兵衛
児島源一郎正重
児島与助
児島善四郎
権田久助
近藤久内吉成

さ行
四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
榊原摂津守忠直
志村弥左衛門秀次
杉浦次郎兵衛
杉山久内
鈴木伝八郎
鈴木又六郎
外山小作正重

た行
四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
鳥居四郎左衛門忠広

な行
四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
中根平左衛門正照
中根喜蔵利重
夏目長三郎
成瀬藤蔵正義
野々山藤兵衛政安
関東で 230石のち1530石

は行
四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
長谷川紀伊守正長
長谷川藤九郎
服部源兵衛保正
原久蔵
原田藤左衛門種友
平井新三郎
堀川彦作
本多肥後守


四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
松平弥右衛門
松平主税
松山久内
門奈善三郎真友


四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
山田甚五郎重吉
山田角之丞
米津小大夫政信(旗奉行)


四戦
紀聞

三河後
風土記
浜松
御在城記
家忠
日記
松平記 寛政譜
渡辺十右衛門尉
渡辺新九郎


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