2004年 10月

――敬称略・逆日付順――


10月30日 22日 8日



10月30日
2004年10月30日(土)  

〔瀬音(せのと)〕の小兵衛

発信:甲賀市役所土山支所 次長 小倉道孝さん

お尋ねの「瀬音」は、明治 7年(1874)に、「音羽野(おとわの)村」と「一之瀬村」が合併して「瀬ノ音(せのおと)村」となりました。「瀬音」とも記します。
「音羽野(おとわの)村」は江戸期〜明治 7年、甲賀郡のうちで松尾川東岸にあり山林業がさかんでした。
「一之瀬村」は江戸期〜明治 7年の村名。松尾川右岸。助郷は東海道土山宿に出役。

「瀬ノ音村」は、明治22年(1880)の町村制の施行により、南土山、北土山、平子、青土、野上野、大沢とともに合併して「土山村」となりました。
その後、昭和30年(1955)に鮎河、山内、土山、大野村が合併して土山町に。
平成16年(2004)10月1日に土山町は、水口町、甲南町、甲賀町、信楽町と合併して甲賀市となりました。


管理者:西尾からのレス―――

ははーん。「瀬ノ音」または「瀬音」は、明治 7年からの村名なのですね。
〔瀬音(せのと)〕の小兵衛は、文庫巻5[女賊]に登場します。東海道・岡部宿のかつての配下の家で余生をおくっている元首領です。池波さんが、その通り名〔瀬音〕を甲賀忍者の取材旅行で得たとしても、明治 7年以前には存在していなかった地名とご存じであったかどうか、きわめて疑わしくなりました。
リサーチって、おもしろい裏話を生みますね。
小倉次長、ご教示、ありがとうございました。
明治19年刊行の地図
画像内 をクリックすると、拡大画面が表示されます。



10月22日
2004年10月22日(金)  

〔大滝〕の五郎蔵の出身地

発信:朝日カルチャーセンター(新宿)
   〔鬼平〕クラス 堀之内勝一さん

近江の国・犬上郡・富之尾は、彦根城下から南へ三里。
琵琶の湖の東岸、二里半のところにある。
このあたりは、近江と伊勢の両国にまたがる山塊の、その山ひだにかこまれた山村で、総称を〔大滝〕とよぶ。
江戸からここまで、中山道を約百二十里。
       『侠客』(新潮文庫 1969.03.26)p215

〔大滝〕の五郎蔵の初登場…『オール讀物』1970.5月号
『侠客』サンケイスポーツ連載…1968.10〜1969.09


『侠客』(新潮文庫

〔大滝〕の五郎蔵は〔蓑火〕の喜之助の下から一本立ち。
・〔蓑火〕の喜之助のホームグランドは京都。
  お美代の墓は京都市中の北方の瓜生山の裾。
  配下の源吉にまかせた旅籠〔藤や〕は五條東詰。
               ([1-5 老盗の夢])
・〔井尻〕の直七は大坂から上方にかけて、むかしから名
 のきこえた〔淀〕の勘兵衛の手下で、かつて盗賊だった
 ころの五郎蔵とは顔見知りの間柄であった。
              ([7-2 隠居金七百両])

以上のことから、〔大滝〕の五郎蔵の出身は近江と推定します。


管理者:西尾からのレス―――

うーむ、みごとな推理です。
堀之内さんのご提案で、現・滋賀県犬上郡甲良町大滝も有力候補地の一つに浮上してきました。
京都に次いで、彦根が「とりわけ好き」という池波さんは、東近江を探索しつくしていますからね。

明治19年発行の彦根、大滝あたり
画像内 をクリックすると、拡大画面が表示されます。

 わいわい談義〔大滝〕の五郎蔵 ←こちらをクリック




10月8日
2004年10月02日(土)

雑誌『サライ 池波正太郎特集』号

発信:管理者の西尾―――

かねての予告のように、雑誌『サライ 池波正太郎特集』の10月21号が発売になりました。94ページにもわたるビッグ特集なので、書店での立ち読みはちょっとむずかしいかも。
特別定価\580。
当サイトの紹介は33ページです。


当サイトに触れたコラム。書き手は北吉洋一さん


『サライ 池波正太郎特集』号の表紙





2004年10月02日(土)

お熊婆ぁさんの茶店〔笹や〕

発信:管理者の西尾―――

[姫宮恵子のテレビ観想 その12]に、本所二ッ目通り、弥勒寺前の茶店〔笹や〕のお熊婆ぁさんが登場しています。
この茶店のロケーションについて誤記しているのは、人文社『江戸切絵図にひろがる鬼平犯科帳 雲霧仁左衛門』です。
引用図版でご覧のように五間堀ぞい、弥勒寺橋の北づめ、宗対馬守中屋敷の中にポイントされていますね。大名屋敷の地所内に茶店が設けられるはずはありません。


人文社『江戸切絵図にひろがる鬼平犯科帳 雲霧仁左衛門』に[35]とふられているポイントが茶店〔笹や〕と。

近江屋版
画像内 をクリックすると、拡大画面が表示されます。

『江戸名所図会』を精読していれば、こんなミスをおかさないですむともおもうのですが……。
聖典巻7[寒月六間堀]には、〔笹や〕の南隣は植木屋〔植半〕とあり、息子の敵討ちを念願している老武士がひそみます。
『江戸名所図会』の「本所・弥勒寺」には、「植木屋」としっかり書き込まれています。

「本所・弥勒寺」(『江戸名所図会』)
画像内 をクリックすると、拡大画面が表示されます。

となると、その北隣の板庇がお熊婆ぁさんの茶店〔笹や〕で決まり。二ッ目通りに面した常盤町3丁目。『図会』を見ると弥勒寺の山門も二ッ目通りに沿っています。

池波さんが座右に置いていた近江屋板のに事項スポットされていれば、もっと『鬼平犯科帳』にそったとおもいます。



お送りいただいたメッセージは、整理・編集して、毎週金曜日にアップします




(c)copyright:2000 T.Nishio All Rights Reserved.