2006年 9月

――敬称略・逆日付順――


9月23日


9月23
2006年9月23日(土)

押上・亀戸コース・ウォーキング

発信:鬼平熱愛クラブ おまさ
おまさです。

久しぶりの史跡ウォーキング!歩くには最良の日でしたね。

14時に「押上駅」近くの春慶寺前に集合ということで、
遅刻をしないようにと早めに出かけました。

と・こ・ろ・が!

半蔵門線に乗って途中まで来たところ、田園都市線内での
事故の関係で停まっちゃった・・・ぎょえ〜!

なんとか押上駅まで着いてみたら、今度は駅構内で迷っちゃった。

A2出口から出ようと思ったのに出られない。なんで?

ウロウロしているうちに駅事務所前を通ったので
構内地図をもらって猛ダッシュ!

途中、鬼平メンバーたちと出会って一緒に集合場所へ。
ふぅ〜、歩く前から疲れたよ〜。

春慶寺前には既にほとんどのメンバーが集まっておりました。

第1ポイント『春慶寺』。
ここは鬼平の親友の岸井左馬之助が寄宿しているとされたお寺。

「『鬼平犯科帳』中 岸井左馬之助寄宿之寺 江守徹」の碑が入口正面に。

数年前にやった除幕式、ワタクシおまさも見に来ました。
左馬役の江守徹氏が除幕し、太鼓の催しモノがでたりしたんだよ。
つきたてのお餅を食べたのを覚えてますだ〜。
こ〜ゆ〜食べたモノの記憶はシッカリあるわけさ。にゃはは!

同じく正面入口のところには鶴屋南北のお墓もありました。
今はキチンとお墓も扱われているけれど、一時期は酷かったようです。

お墓の隣には劇作家「宇野信夫」氏の読んだ歌が彫られた碑も
たっていました。

「なつかしや本所押上春慶寺 鶴屋南北おきつくところ」

おきつく(奥津城)ところ とは「お墓」のことだと
メンバーの白浜さんが教えてくれました。

宇野信夫はこの歌を詠んで、北千住の石の売り場で石を選び、
石屋に彫ってもらい、破損して倒れたままの墓を起こしてもらった
その傍に碑を建てたとエッセイ(1966年)に書いています。

宇野信夫が鶴屋南北のお墓を探すため春慶寺を訪ね、お墓を再建し、
碑を建てた時の詳しいお話、その当時の住職との面白いやりとり、は、

「心に残る言葉」平凡社 1983年11月18日(初版第一刷)
「こころに残る言葉」朝日文庫 昭和61年10月20日(第一刷発行)

の中の「幕のうちそと」中に「鶴屋南北の墓(1966)」「南北の墓補遺(1968)」
「鶴屋南北の墓 その後(1983)」として載っていますが、

残念ながらハードカバー・文庫 共に絶版のようで・・・。

以前、講座時にコピー配ったよね?

さてさて、今回、春慶寺を訪ねた目的は、

「普賢菩薩」の本物を拝ませてもらうことにあったのだぁ〜!


後ろ姿のメンバーと「普賢菩薩」の祭壇

普賢堂に入ると「押上の普賢さま」として江戸時代にも人気のあった
本人(?)が・・・!

あまりに小さくってビックリ!全長が手のひらより小さいサイズかも。

だから目の前まで行って拝ませてもらったのに良く見えなかったのが残念。

いただいたパンフレットに載っている写真を見て「あ〜こうなんだ?」
と思った次第。

さぁて次は、浅草通りをテクテクと横十間川の方向へ。

途中、能面博物館を横目に通り過ぎる。ココ気になるな〜。


第2ポイント『法性寺』。
北十間川と横十間川の交差している所で「柳島の妙見さま」として有名。

メンバー「豊島のお幾ちゃん」家の菩提寺なんだって。

ビルになっちゃってお寺らしからぬ雰囲気。お寺の上はマンションらしい。

境内にはいると沢山の碑が。

「六世 桂文治」「初代 歌川豊国」「近松門左衛門」
「葛飾北斎辰正翁」の碑、等など盛り沢山。19碑もある。

中に通されて、お話を伺う前に沢山の資料を頂く。
「わ〜い!嬉しいぞい。読み応えがありそうだっ」

まずは「お幾ちゃん」が「江戸名所図会の塗り絵」を奉納して、



塗り絵奉納。受取る住職

お茶とお煎餅を頂きながら鈴木ご住職のお話を伺う。

妙見さまが江戸の人たちにどれだけ愛されていたかという話、
一木六名の松の話、近松門左衛門の碑を再建したいわれ、

妙見さまには「白蛇」がつきもので、
「柳島 松に白蛇のいそうろう」
「牡丹に唐獅子」の尻取り唄には「白蛇の出るのは柳島」
と唄われたとか、

葛飾北斎辰正の名前は妙見大菩薩の信仰からつけられたとか、

面白いお話を沢山聞かせて頂きました。


講話するご住職 聞き入るメンバー

あと、今は秘密にしておいてくださいの話が・・・。
この内容は「ひ・み・つ」!きゃはは!

その後、広重、豊国等の「妙見さま」の貴重な浮世絵を見せて
頂きましたよ〜。

結構長居をしてしまいました。お持ち帰り用のお煎餅も頂き感謝です。

次は、柳島橋を渡り、横十間側沿いに歩く。

第3ポイント『龍眼寺(萩寺)』。
ここは萩で有名なお寺。確か数年前に改築したんだよね。
前に来た時ははいれなかったもの。庭もきれいになったし。

ワタクシおまさにとっちゃ〜ココは因縁(?)のお寺。

生まれてはじめて塗った「江戸名所図会」が「龍眼寺」。
当時、萩の花を知らなくて「何色?」ってお馬鹿な質問をしたのぢゃった。



またもや今回も西尾センセに「萩の花の色」でイジメられたぜ。
「白いのもあるよ」だって。くそ〜っ。くやぴ〜。

萩のトンネルをくぐってみました。

もうちょっと咲いてたらよかったのにな。

境内には布袋尊もあり、お堂の中を覗いてみたら、
「ドーン」と鎮座しておりました。恰幅が良く、おデブだ。
なんかゆったりしてて気持ちよさそ〜。

ここのお寺にも碑が沢山。萩について詠んだ歌が多いのかな。

      
第4ポイント『光明寺』。
ココに来た目的はただ一つ。「三世 歌川豊国(国貞)」のお墓。

一世 豊国は、先ほどの「妙見さま」に碑があったよね。
あそこには一世 豊国の使った絵筆208本が埋められてるんだったっけ。

メンバー白浜さんの本領発揮!お墓についての説明を受ける。
同時に「相州藤沢宿の太兵衛さま」シートも大活躍!

いつも思うが「この2人のメンバー」ってプロだよ〜。
鬼平熱愛倶楽部にゃセンセが3人もいるってことで、贅沢だぁね!

三代 豊国は本所五ツ目の渡船の株を持っていたことから
「五渡亭」といわれ、それが墓石に蜀山人の筆により彫られて
おりました。亀戸豊国ともよばれていたらしい。

お墓は2つ並んでいて、歌川一族のお墓なんだとか。

でも、お彼岸だというのにお墓は花も供えてなく、水がたまって
どんよりとしておりました。ご子孫の方達はいないのかしらん?

豊国は元治元年の子年(1864)年12月15日に75歳で亡くなったそうで、
丁度、明治維新の4年前にあたるそうです。

そう聞くと、江戸っていっても近い過去のような気がするね〜。

帰り際、入口のところにある石碑 亀命山光明寺の「亀命山」という
字が読めずにまたもや白浜さんの助けを借りちゃいました。

達筆すぎて読めね〜よ、って。

でも古文書が読めたらいいな〜。カッチョイ〜もん、白浜さん。

で、次は超ご近所。


第5ポイント『普門院』。
こちらもメンバー白浜さんの独壇場でありました。

昔は南千住にお寺があったそうで、引っ越してくる時は隅田川を
船で荷物を運んできたとか。

その時の荷物の中の「鐘」が隅田川に沈んでしまい、そこが「鐘ヶ淵」。

鐘ヶ淵といえば、一般的には「鐘紡(カネボウ)」だけど、
池波正太郎を好きな面々にとっては「剣客商売」だよね〜。

で、その後の「鐘」はどうなったの?引き上げたの?沈んだまま?

と、話を元に戻して、みんなでお参りしたのは、

アララギ派の歌人であり小説家の伊藤左千夫のお墓。

お墓のところは木がうっそうと茂っていて、名前がわからないけど、
変な声で鳴く鳥が2羽「ギャーギャー」と騒いでおりました。

伊藤左千夫といえば「野菊の墓」。

「たみさんは野菊のような人だ」ってセリフ、覚えてたりしてね。

境内にある毘沙門堂がある場所は、以前は石塔が建っていたところ。
その石塔は今現在は表門をはいった右側に移動しておりました。

江戸名所図会を見ると、同じカタチの石塔が描かれてました。わお!

普門院を出てテクテクと、次の場所は正面入口ではなく横から
ズル入りしちゃいました。



なぜだか、境内の名所は何にも見ずに、一心不乱に亀に餌を
やってしまいましたね〜。

丁度、お煎餅を持っていたのでね。(どこのお煎餅かって?前述を見よ)

亀戸天神の亀たちも鯉たちも、お煎餅なんて固いものを平気で食すとは!
ふやける前に食べちゃうんだもの。『おまえら、喉が切れるぞ〜』

ここで今日の史跡ウォーキングのコースは終了。

会食に参加しないメンバー達とはここでお別れ。おつかれさま。


会食メンバーは、錦糸町公園前の「OLINAS」へ。
ここオリナスモールの4Fの『野の葡萄』が会食場所。

食べ放題・飲み放題のコース。

バイキングになっているので、自分の好きなものが食べられるんだ。

ワタクシおまさは4プレートいただきました〜。食べ過ぎた。

最初の1プレートは、和食のコーナーで、お惣菜とサラダをゲット。
あとお味噌汁とグレープフルーツジュース。

2番目は、ウドンとポタージュと、デザートコーナーで果物とケーキ全種と
杏仁豆腐をゲット。飲み物はアップルジュースとジャスミンティー。

3番目は、ご飯を全種とカレーと漬物全種と、洋食コーナーのペンネグラタンと
カルボナーラのスパゲッティ!飲み物はオレンジジュース。

4プレート目は、も一度デザート!さっきのケーキ全種とワッフルと白玉ぜんざ
い。飲み物はカプチーノと美味しい水。

今回は食べるのを中心にしたので、お酒は最初の乾杯ビールと日本酒のみ。
さすがに食べすぎてお腹痛いよ。

口をきくのもツライ状態で帰路についたのでありました。

このあと、カラオケ!なんて騒いでたメンバーたちもいたけど、どした?

ホントひさびさのウォーキングでメンバーみんな楽しんでいましたね。
おつかれさまでした〜。

またもや長すぎる報告になってしまいました。失礼しました。


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