SBS学苑パルシェ静岡 〔鬼平〕クラス 中林正隆


幕府道中奉行制作「東海道分間延絵図」 藤沢宿と瀬戸川(部分)

文庫巻6[狐火]で、松戸(千葉県)の遠縁の家に一泊、早朝に江戸へ向かった女密偵・おまさが、松戸街道をのぼってきて、新宿(にいじゅく)の渡口(現:葛飾区新宿1丁目と青戸8丁目を結び中川に架かる中川大橋のあたり)の茶店の主、〔瀬戸川〕の源七を見かける。おまさが、上方が本拠の〔狐火〕の勇五郎の配下だったとき、源七は〔狐火〕の右腕といわれていた男である。が、〔狐火〕の二代目を継いだ又太郎の言葉によると、

「先代(おやじ)が亡くなったとき、お前さんは足を洗って一時は駿河の故郷(くに)へ帰り、それから、ここへ来て住みついた……」
[狐火]p147 新装p155

ということだから、源七の出身は駿河――つまり、瀬戸川ぞいのどこか、と見ていい。静岡県を流れる瀬戸川は、赤石山脈南端の清笹峠付近に発し、藤沢市を貫通して焼津市街の北で駿河湾にそそぐ。
途中、取水のために水流が涸れている。川らしく「水のある瀬戸川の風景を」撮影するべく国道1号から入ったが、やはり涸れていた。
上流へと車を走らせたら〔志太温泉元湯館〕があった。一寸あいさつ。上品な女将に丁重なあいさつを返された。SBSテレビも取材にきたそうである。
さらに上流へ向かったが、「水のある瀬戸川の風景」にはついに出会わなかった。藤枝市郷土博物館へ立ち寄り文芸員の方から話を伺った。長谷川平蔵の先祖は、焼津の小川(こがわ)の豪族であったが、武田勢に攻められ田中城へ逃げこんだ話、また長谷川氏が興したお寺が高草山の麓にある「林叟院」であることを教えてくれた。
「水のある瀬戸川の風景」を探して焼津へ行く。150号線を焼津へ入り、朝比奈川を渡って左折すると、瀬戸川牛田橋へ出た。車を降り土手をまわると、朝比奈川と瀬戸川の合流地点であった。
水鳥がたくさん遊んでいる。海が近い。瀬戸川そのものは浸みこんで伏流水になり、周辺の河川を合流することによって、下流では水量が多くなって海に注いでいる。瀬戸川の伏流水が田中城の守りに寄与していたらしい。


瀬戸川下流


?田中城の長谷川一族についての疑問?

西尾の補足:
長谷川平蔵の先祖が焼津・小川(こがわ)の豪族であったことは、2003年02月20日(木)の「西尾から生島(しょうじま)さんへ」のコメントで、『駿国雑記』巻38の「長谷川次郎右衛尉政平」を引用して報告しているので、ここでは省略し、再記はしません。問題は、長谷川一族と田中城にまつわること。『藤枝市史』は、

元亀元年(1570)1月22日、武田信玄は花沢城を攻略して27日にこれを陥入れると、その余勢をもって田中城を攻めた。この時田中城を守っていたのは長谷川正長である。思うに由井美作守は永禄3年(1560)の桶狭間の戦に戦死をとげたので、その後をうけて、小川に居館を構えていた長谷川氏が守衛したのである。(長谷川正長の祖父は法永長者と呼ばれ今川の家督争いに氏親を庇護した功臣である)武田勢は新宿口・平島口から潮の如くおしよせた。正長は一族二〇人余、三〇〇騎でこれを守ったが、衆寡敵せず、辛うじて脱出して金比羅山へ逃れ、再起逆襲の機をねらったが遂にその機会がなく、遠州に走って家康に投じた。

「武田勢に攻められ田中城へ逃げこんだ」の逆で、田中城から逃げたのです。
疑問点は、「一族20人余、300騎」の「300騎」です。平地城の田中城は、本丸がわずかに860坪の平地城です。こんなちっぽけな城にはたして「300騎」も収容できたでしょうか。また、長谷川正長を受け入れた徳川家康側にしても、「300騎」では長谷川正長の処遇に当惑したでしょう。前掲『駿州雑記』巻38は「長谷川次郎右衛門正長」の項を立てて、

伝えて云う。長谷川次郎右衛門正長は、某元長の子なり。のち紀伊守に任ず。益頭郡徳一色の城(注:田中城)に在り。永禄十三年(1570 注:元亀元年でもある)、武田信玄のために攻められ、一族二十一人、その勢三百余人を従え、去って遠州へ赴き、東照宮に奉仕。元亀三年(1572)十二月廿二日、味方が原御合戦の時討死す。墓は止駄郡小河村会下島、長谷山信香院(曹)に有り。法名長谷院殿前紀州守林叟院信香大居士と号す。(略)

もう一つ、調べたいとかんがえているのは、長谷川正長を徳川家康に引き合わせた徳川方の重臣はだれか、ということ。今川の人質だったころに家康と面識があったという見方もできますが、ここは、家康の命を帯して今川の武将たちの取り込みに働いたものがいると見たほうが自然です。

田中城は、いまは堀の遺溝をのこすのみで、いまは、下益津小学校が建っている。藤沢市教育委員会が設けている「史跡田中城下屋敷」は、徳川治下のもので、長谷川家が武田勢に備えた時代のものではない。


田中城跡石碑



田中城二の堀跡



田中城二の堀跡銘板



史跡田中城下屋敷 パンフレット



五十三次名所図絵 瀬戸川のかち渡り(歌川広重画)



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