朝日CC〔鬼平〕クラス 富川博見


 源氏鶏太の「錯乱」評五

[わいわい談議][鬼平犯科帳の部]の「池波正太郎」コーナー、 6/5日に『錯乱の審査員評』が掲出されています。

審査員の一人であった源氏鶏太氏の作品評は、
「『錯乱』は受賞作品だが、この人の過去にもっといい作品があった。一種の努力賞であろう」とし、
西尾先生の注意書きとして
「源氏さんがいわれる(過去のもっといい作品)というと、候補となったが受賞を逸した『恩田木工』、『眼』、『信濃大名記』、『応仁の乱』、『秘図』の中のどれかのことでしょうか」とのコメントがありました。

『真田騒動―恩田木工―』(新潮文庫)から『信濃大名記』『錯乱』『真田騒動―恩田木工―』を、
『賊将』(新潮文庫)から『応仁の乱』『秘図』を、
『緑のオリンピア』(講談社文庫)から『眼(め)』を読んだ。『眼(め)』は印象に残る作品であった。異色作であろう。シリアスな社会派(?)小説といったところだろうか。

「この人の過去にもっといい作品があった」作品とは、どの作品なのだろう、と推理を試みてみた。結論を先にいうと、『恩田木工』と『信濃大名記』の、いわゆる「真田もの」ではなかろうかと思料する。「一種の努力賞であろう。」が、そのキーポイントのような気がする。小島政次郎氏の
「この作家は随分長いこと真田家ととっ組んできた。(中略)入れ替り立ち替り真田家に取っ付いて離れなかったこの作者の執念を私は徒(あだ)や疎(おろそ)かに思いたくない。」とする作品評とも符合するよ
うに思う。

あえて、一つに絞る必要もないのかも知れないが、強いて一つに絞るとすると、『恩田木工』と『信濃太平記』のうち、どちらなのだろうか?

甲乙付けがたいが、『信濃太平記』ではなかろうかと思料する。その根拠は――、

『現代の文学30 源氏鶏太集』(河出書房新社)から『停年退職』『御身』を読んだ。
源氏鶏太の作品はあまり馴染みがないが、軽快なテンポに引きずり込まれ、一気に読んでしまった。「月報」に寄せた柴田錬三郎氏の書評
「源氏さんの書くような、さして事件らしい事件のない、平凡な人物の登場するサラリーマン小説こそ、才能がなければ、絶対に書けぬのである。(中略)ごく平凡な人物に、ごく平凡な会話をやらせ乍ら、これを、すこしも退屈させずに読ませるということは、なみたいていのわざではないのである」のなせる技なのであろう。

小松伸六氏は
「源氏さんは、人生の真実とは、現実そのものにあるのではなく、理想のなかに見出されると考えているのではあるまいか。幸福という言葉をつかえば、家庭の幸福、サラリーマンの幸福を求めているのが源氏作品の根本的なテーマではなかろうか。つまり幸福を願い、理想を追うことが源氏文学のユーモアの基底にあるものなのである」と解説する。
そして、「源氏文学のペーソス」「ハッピーエンド小説である」「すべてが善意の人たちである」「作者の清潔な計算がみられ」「幸福な大団円におわる作品」「カン善チョウ悪の定型」等々の文言が、この二つの作品を象徴しているように思われた。

『停年退職』で作者は主人公に「(大過なく、とにかく、大過なくであった……)章太郎は、それとなく机の上を撫でながら、最後の別れを惜しんでいた。これからも、大過なく生きていきたいのであった。」と語らせる。

尾崎秀樹氏は『鬼平犯科帳』文庫巻[24 特別長篇 誘拐]の解説で「池波正太郎の文学」という標題で論評している。
その中で「池波正太郎は『錯乱』の受賞に先立ち、候補になった『信濃大名記』と『恩田木工』を一冊にして出版したことがある。
彼としては処女出版の著作であろう。私はすでに『大衆文芸』や『小説倶楽部』「面白倶楽部』などの倶楽部雑誌で、池波正太郎のいくつかの短篇を目にしていたが、光書房から刊行された『信濃大名記』は、はじめての出会いであった。私はこの本を時評でとりあげた。
「兄弟でありながら戦わねばならなかった真田幸村の兄信幸が、領民にしたわれながら信州上田から松代へ転封されるまでを書いた『信濃大名記』は、信幸から五代目、信安の治下、腐敗し切った藩政立直しに挺身する恩田忠親の苦悩を描いた『恩田木工』に続いている。戦国の武将たちが幕藩体制に組込まれて行く過程は、戦国の動乱以上に非情なものがあったろう。作者の眼は恩田木工の人間性に即してこれを見つめている。清潔な作品である」(時代小説無頼控)と解説している。

『真田騒動―恩田木工―』で佐藤隆介氏は
「『信濃大名記』では、まず、真田家の藩祖・信幸を主人公として、戦国時代の一武将がいかにして一国を司る大名へと変貌して行ったかが語られる。(中略)真田信幸を徳川家康方につかせたものは何よりも強固な一つの信念に他ならぬ。あくまでも〔家を守る〕ことこそ己の勤めと自覚したリーダーの信念である。家中二千人の家来にはそれぞれの家族がいる。それらの人々の生活を安泰に持続させることが信幸にとっては最大の義務である。そのためには、だれにつくべきか。信幸が時代の流れを読みつくし、最終的に選んだ人物が徳川家康だったということだ」と解説している。

源氏鶏太には『信濃大名記』が「真田家の存続を願い、大過なく生き、善意とペーソスと清潔感に彩られ、幸福な大団円に終わる」作品に見えたのではなかろうか。
(この人の過去にもっといい作品があった)とする作品は『信濃大名記』ではなかったかと推測する所以である。


『真田騒動 恩田木工』(新潮文庫 1984.09.25)『信濃太名記』『錯乱』『真田騒動』など5篇を収録。


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