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一方の浄光寺。 田の面(も)のひろがった前方に、 木下(きね)川薬師堂の方へ通ずる道があり、 その道の向うに〔化物屋敷〕の表門が見える。 木下川薬師が鎮座する当時の浄光寺は、改修後の荒川放水路の底。 移転先は 100メートル東南の、 ・葛飾区東四つ木 1- 5- 9 ![]() 浄光寺仁王門 |
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![]() 木下川薬師銘板 |
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伝教大師の作と伝えられる薬師如来蔵は、ゆえあって上半身が彫られ、下は錦布で覆われた珍しいものです。『図会』は、こう、解説。
木下川薬師如来の霊像は、延暦年間伝教大師叡山に在せし頃、東国化益のため彫造せられ、やや半ばなる頃、一夜この本尊の霊示あるをもって、ついに像腰を刻さずして錦繍をもてこれを纏ひ、下野国大慈寺(栃木県下都賀郡岩舟町小野寺)の広智といえる沙門の東国に帰らんとするに付属ありしかば、本尊有縁の地なるをもって木下川に安置なし奉りしこと、浄光寺縁起に詳らかなり 秘宝につき開帳は12年ごと。次の開扉は平成22年なので、厨子の写真と模写をご披露。脇士は恵心僧都の作。寺宝の十二神将も、恵心僧都の作。 ![]() 木下川薬師像厨子 |
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![]() 木下川薬師堂 |
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![]() 木下薬師像 「わが名を聞かば衆患(すべての病い)、ことごとく除かん」(第7願)とおっしゃった。 この薬師如来に従って、行者を守護するのが十二神将。十二神将はそれぞれの干支(えと)の守護神でもある。木下川薬師の十二神将は、恵心僧都(江戸期)作。 |
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三代将軍家光お手植えの松は二代目。「登美の松」の命名は勝海舟。 ![]() 登美の松 |
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