SBS学苑パルシェ静岡 〔鬼平〕クラス 中林正隆


幕府道中奉行制作「東海道分間延絵図」 宇津谷峠(部分)


幕府道中奉行制作「東海道分間延絵図」 岡部宿(部分)

[6−6 狐火]の新宿の茶店の主の〔瀬戸川〕の源七、[1−7 座頭と猿]の〔五十海(いかるみ)〕の権平、[4−2 五年目の客]に〔小房〕の粂八の10年前の元 親分として名前の出る〔羽佐間(はざま)〕の文蔵
……などの呼び名は、岡部・藤枝の地名だから実地にあたるように、とのことだったので、前回につづいて探索に出かけた。
住んでいる静岡から、旧東海道の宇津谷峠を越え、岡部川ぞいに約1キロ下り岡部橋を渡ると、[5―3 女賊]で〔瀬音〕の小兵衛お頭が隠居していた岡部宿である。


参謀本部の地図

左手に、大旅籠〔柏屋(かしばや)〕が見える。天保7年(1836)、に建った 160余年前の建物は岡部町の歴史史料館になっているが当時の旅籠の様子はちゃんとうかがえる。


弥次・喜多の標識


玄関を入ると、右側は武士の部屋になっていて、庶民は左手から狭いはしご段を2階へ上るから、[3−5 駿州・宇津谷峠]p240 新装p251 にあるように忠吾と商人がすれちがうかしらん?

宇津谷峠 葛の細道


宇津谷峠 葛の細道から峠を望む

案内の方に頼んで岡部宿図をコピーしてもらった。嘉永7年(1854)の調帳だから、鬼平の時代より60年ほどこっちのもの。本陣:内野九兵衛([女賊]では脇野九兵衛)、島や庄平などが載っている。
「専修寺」([女賊])は「専称寺」の読みちがいか。宿場西側の裏手……「岡部川に沿った土手道」(p80 新装p85)「岡部橋」(同)、「専称寺」と舞台は揃ってきた。


旧東海道沿い岡部宿見取り図


「専称寺」は西行の座像を所蔵しているとかで、由緒あるお寺のようだ。玄関に子どもを抱いて座っている若奥さんに、〔鬼平〕クラスを名乗って話しかけた。玄関内に招じこまれ、出ていらした大奥さんから話を聞くことになった。
400年ほどの歴史をもち、田中城主の御典医をつとめ、〔一ト火灸療養所〕として現在までつづいている。本堂、楼門は最近建て変えたものと。時間の都合もあり再訪を約して辞去。


専称寺楼門


鉄道が藤枝―焼津を通ることにになって岡部宿はさびれたが、それだけに古い建物、町並みが残っているものと期待したが、地震対策もあって大部分の建物が建て替えられ、「大旅籠柏屋」ほかを残すのみであった。本陣は舗道に案内の石柱が立っているだけである。


本陣跡の石碑


本陣跡から西(藤枝へ向かって右)に進み、岡部川を渡って右折すると、桂川から「羽佐間」―「玉露の里」。現地では「はさま」と濁らないで発音しているが『鬼平犯科帳』は「ハザマ」。
[駿州・宇津谷峠]で〔稲荷〕の徳次と〔臼井〕の鎌太郎が絵図面をたよりに捜しあてた樵小屋は「羽佐間」のようだ。


羽佐間地区の羽佐間橋


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