SBS学苑パルシェ静岡 〔鬼平〕クラス 中林正隆

クラス第3回目のテキストは文庫巻1[血頭の丹兵衛]だから、〔小房〕の粂八が滞在する島田宿を下見しておくように、とのことだったので、車ででかけた。
市の手前で旧東海道へ入る。
まず、丹兵衛が粂八へ煙草入れをわたして、

「明日の夜、五ツ半(九時)ごろ、七丁目裏の。ほれ大久保川の川っぺりに三倉やという煙草屋がある。そこへ来てくれ……」
p108 新装p114


と言った、東海道筋の7丁目辻から北へ。幅1間半の大久保川は今は覆われて狭い路地になっているが、5メートルおきに鉄桟がはめこまれてい、その下
の、粂八のころとおなじ早い流れを見とどけられる。丹兵衛一味の逮捕の夜、当初、粂八が山門に身をかくしていた仏殿山林入る寺(曹洞宗 祇園町8512−
1)に参詣、夫人と話す。
『鬼平犯科帳』に同寺が登場していることは寺側もしっかりご存じ。


林入寺

ついで、江戸から上ってきた粂八が草鞋をぬいだ(本通り5丁目)の旅籠〔鈴や紋十〕があったあたりを歩く。p97 新装p103
資料『島田宿と大井川』(島田市教育委員会 700円)は、〔鈴や紋十〕は5丁目でなく4丁目にあったとしている。〔鈴や紋十〕の名を池波さんはどこで知ったのだろう?
別の資料『第19回企画展 東海道と島田宿展』(島田市教育委員会 1300円)は、〔鈴や紋十〕は東海道かせひと筋南の通りに面して間口4間奥行9間の小旅籠と記録している。


『島田宿と大井川』『第十九回企画展 東海道と島田宿展』
どちらも島田市博物館で求められる。


つぎに行ったのは、
「代官橋の手前を北へ切れこんだまがりくねって、大井明神の鳥居前に達する。
このあたりは茶店、食べ物屋が軒をつらね、妖しげな女たちがうごめく店もかなりあった。〔宮小路〕と土地の人びとがよぶ幅三間余道の両側にたちならぶ茶店は、いずれも一種の娼家とみてよい」p101 新装p107
いまはふつうの商店とすこしばかりの飲食店があるなんということもない通りに変わっている。
せっかく島田市を訪れたのだからと、島田市博物館へ。もっとも、ここは『鬼平犯科帳』とは別世界である。



島田市博物館のリーフレット表紙


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