SBS学苑パルシェ(静岡)〔鬼平〕クラス:杉山幸雄

お平成16年4月4日(日)の講座で西尾先生から、『鬼平犯科帳』に登場する駿府の店――

 薬種店〔神崎屋〕佐兵衛  [3-5 駿州・宇津谷峠]
                 p244 新装p255
 笠問屋〔川端屋〕彦兵衛  [4-7 敵]
                 p242 新装p254
 仏具屋〔今津屋〕佐太郎  [5-4 おしゃべり源八]
                 p142 新装p149
 仏具屋〔伊勢屋〕直二郎  [9-2 鯉肝のお里]
                 p67 新装p70
 扇子屋〔三村屋〕徳太郎  [16-2 網虫のお吉]
                 p64 新装p67
 本陣 〔小倉〕平左衛門  [5-4 おしゃべり源八]
                 p143 新装p151


――などはどこにあり、実在の人物だったのか、また寺町はどこだったのか、調べてほしいとの話がありました。
長年にわたり静岡の郷土史史料の収集をこころがけてきていたこともあり、調べてみようとおもい立ちました。

1.史料 
  駿国雑誌 一、二、三、四       (蔵書)
  静岡市史 近世史料二         (〃 )
  駿河国新風土記 上、下巻       (〃 )
  東海道府中宿             (〃 )
  明治初期 静岡町割り絵図集成     (〃 )
  静岡の歴史と文化 静岡市教育委員会  (〃 )
  徳川家康と駿府城下町         (〃 )
  静岡市町名の由来(地図付録4枚)   (〃 )
  わが郷土静岡ほか数冊         (〃 )


2.県立図書館史料
  県立葵文庫 東海道宿駅と其の本陣の研究
        近世交通史料集 4


昔の駿府は、古来東海道の往還であったが、慶長12年、新しい駿府町割りとなり、本通り(もとどおり)に対して新通りは「もとどおり」のバイパスとしての役割りをはたすことになった。
この道は、駿府城に直交し、梅屋町から続いて新通り1丁目〜7丁目を経て、安倍川に至る。


「慶応 4年 6月の駿府中心街図」(安本博編『静岡中心街誌』1974.11.03刊)寺社地の彩色は西尾

そこで私は、梅屋町第1図、第2図から本通り1丁目〜5丁目、新通り1丁目〜7丁目と、寺町1丁目〜4丁目、上伝馬町と下伝馬町など、一通り町割り絵図、府中宿に目を通しましたが、薬種屋は一町内に一軒あるか位の割合で、〔神崎屋〕佐兵衛方はなし、笠問屋〔川端屋〕彦兵衛方も見当たらず。が、江戸時代には新通り5,6丁目を笠屋町と呼び、旅人の笠を作って売る店が並んでいたという。

なお、寺町については1丁目から4丁目まで検討しましたが小説に登場する仏具屋〔今津屋〕や〔伊勢屋〕に該当する店はありませんでした。

本陣ならびに脇本陣については、いくつかの記述もあり、とくに静岡宿第二図によると、旅人宿・平尾徳太郎が、江戸時代の脇本陣であった〔大万屋〕清右衛門の子孫であることが判明しました。

「万物は流転する」のことわざのとおり、小説に登場する店は作者によって作られたものか、またはなくなったものか、昔を偲ぶすべもなく、まことに残念の一語につきるとおもわれます。


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