『鬼平犯科帳』文庫第1巻p.13の他にも出てくるセリフである。原典は、池波さんが長谷川平蔵の存在を教えられた、三田村鳶魚『捕物の話』(昭和9年。早稲田大学出版部刊。のち中公文庫)の〔火付盗賊改〕で、これに〔加役は乞食芝居〕という項を立て、

江戸の者は、町奉行所や勘定奉行所は檜舞台、加役は乞食芝居ということをいっておった。

と書いている。
鳶魚はまた「町奉行は檜舞台。盗賊改メはおででこ芝居」とも表現している。
おででこ芝居〕とは江戸時代、江戸三座以外の小芝居を言った。岡本綺堂『半七捕物帳』の〔石灯籠〕で、両国の見世物小屋の情景に、

隣のおででこ芝居では打出し太鼓がきこえた。

と添え、『旺文社文庫』は、おででこ芝居に、

江戸三座以外の小芝居、といっても神社の境内の宮地芝居、盛り場の見世物芝居など、もと放下師の見世物に用いた人形に由来するという。
百日
(おででこ)芝居と書くのは、常設ではなく、百日の期限をつけて小屋がけの興行を許された例からである。

と注している。




『半七捕物帳』の第四話〔湯屋の二階〕には、こんな文章も出てくる。

世間がこのごろ物騒がしいに就いて火付盗賊改めが一層厳重になった。

当然、池波さんも『半七捕物帳』を愛読していたろうから、火付盗賊改めには気がついていたはず。
池波さんが『半七』を読んでいた証拠に、〔二人女房〕という題の物語が『鬼平犯科帳』にもある。


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