長谷川家の嫡男[辰蔵]は、『鬼平犯科帳』の文庫巻12収録の「白蝮」あたりまではさんざんだが、史実は、すこし違う。
 明和7年(1770) 誕生
 (平蔵・25歳)
 (久栄・18歳)
 (宣雄・52歳)
 天明8年(1788)12月23日 19歳
 お目見
 (平蔵・43歳)
 寛政5年(1793) 24歳
 このころ結婚
 花嫁は、永井亀次郎安清の養女
 翌年、男子[宣茂]が誕生したもよう
 寛政7年(1795)5月8日 26歳
 父の功績により書院番士に。廩米 300俵
 松平内匠頭康休(46歳)組
 父:平蔵は危篤中。翌々日逝去
 寛政8年(1796)5月23日 27歳
 若君つき小納戸(身辺雑用係)
 享和2年(1802)7月12日 33歳
 西丸小納戸(記録ミスか?)
 文政9年(1826)12月16日 57歳
 西城小納戸頭取、山城守、従五位下(役高1,500石)
天保2年(1831)6月8日 62歳
 小納戸頭取から御先手弓組頭へ
天保7年(1836) 67歳
 死去
昇進は父:宣以より昇進20年ほど遅れてはいるが、山城守、従五位下に叙された分、父より世渡りがうまかった。
それはそれとして、妻女にもらった永井亀次郎安清(550俵)の養女だが、じつは、石浜神社の神職:鈴木大領知庸のむすめ。永井安清に養われていた。というのも、安清を生んだ母は、宣以の父:宣雄が養女にして、永井三郎右衛門へ嫁がした人で、元は高崎藩士:三木久太夫のむすめだった。
で、石浜神社の宮司へ電話で問い合わせたら、かつての神職は鈴木家、明治にいまの小西家へ変ったと。石浜神社は、その隣の松林の中に秋山大治郎の道場兼住まいがあったことで、ぼくたちには馴染みが深い。

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