宝暦5年
(1755)

近江国蒲生郡小房か?

[血頭の丹兵衛]

宝暦10年か11年
(1760)

5,6歳 〔おんばあ〕死

[血頭の丹兵衛]p96 新p101

数年のち

10,11歳 山鳥銀太夫一座で綱渡り

[血頭の丹兵衛]p97 新p102

安永2年
(1773)

19歳 〔血頭〕の丹兵衛から破門

[血頭の丹兵衛]p91 新p97

安永3年
(1774)

20歳〜
27歳
〔飯富〕の勘八配下で修行
この時〔浜崎〕の友蔵が勘八の右腕

[大川の隠居]p192新p202

天明3年
(1783)

28歳 遠州の〔羽佐間〕の文蔵の下に

[五年目の客]p49 新p51

天明5年
(1785)

31歳? 芝高輪の料理屋〔川宗〕の女あるじ・お紋と岡部宿へ駆け落ち

[馴馬の三蔵]p48 新p51

天明7年
(1787)

33歳 〔野槌〕の弥平一味の時に捕まる

[唖の十蔵]p34 新p35

天明8年
(1788)
34歳 [血頭の丹兵衛]の事件
寛政2年
(1790)
36歳 船宿〔鶴や〕をまかされる
寛政3年
(1791)
37歳 [大川の隠居]の事件
〔浜崎〕の友蔵と10年ぶり再会
寛政7年
(1795)
41歳 [12-4 密偵たちの宴]の事件
寛政9年
(1797)

43歳 [馴馬の三蔵]の事件
粂八の采配よろしきをえて〔鶴や〕はけっこう繁盛していており、儲けの大半を、粂八は諸方へ振り撒き、盗賊探索のために使っていた。同じ密偵たちへも分ちあたえているらしい。

p43 新p45






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