よしの冊子7のつづき(長谷川平蔵の監視役を買ってでた、松平左金吾定寅が先手組の同役の30数人の組頭の前で放談したことのつづき) 
一.
これまで、放火犯または盗賊を吟味するために逮捕しているのは、はなはだよろしくない。火附盗賊をしない前に逮捕してこそ加役の第一の心得といえる。将軍のお膝元に火附盗賊がいるなどということははなはだ悪いことだから、そのような者をいないように、その前から手をうっておくのが加役のご奉公というもの。まず、それについては江戸中の無宿がはなはだ悪者である、これを残らず召し捕り首を切ってしまえ、とまではいわないが、せめて(水替人夫として)佐渡送りにすべきだ。田沼以来、とりわけ無宿人がのさばり、丹後縞などを着ている者までいるというではないか。

西尾注:
「無宿人を将軍の江戸から追っ払え」というのは、近隣藩の迷惑を考えない暴論。
また、当時の佐渡金山の水替人夫の死亡率は極端に高くて、送られて半年もしないうちにたいてい病衰弱死したという。
丹後縞…丹後国与謝地方から産した縞の着物。多くは紬(つむぎ)の高級品。
一.
左金吾は麻の上下の小紋、衣類の小紋など、みなおも高(沢潟 おもだかの葉を図案化したもの)の小紋のよし。目立つほどの大きな小紋のよし。これは拙者の替紋だといっているよし。

西尾注:
子どもっぽい目立ちたがり屋の左金吾の性格がよくあらわれている(情報の出所は、ひとりよがりの左金吾の放言に反発を感じた、先手組の同僚の組頭あたり)。
一.
左金吾は、自分の中に規矩(基準)をもっている人だから、加役が性に合っているようだ。加役を勤めるには申し分のない方だとくり返しくり返し褒める人もいるようだ。

西尾注:
左金吾のひとりよがりな放談をもちあげるふりの先手組頭もいる。
一.
いつのころか、当時、御徒頭だった遠山織部の下女が左金吾方へ使いに来て、その帰りにキツネがつき、いろんなことを口走りはじめた。
このことを聞いた左金吾はもってのほか立腹、

「うちへの使いの帰りにキツネがついたとあってはそのままにはできない」

と、家来を呼びだし、

「わが屋敷の鎮守のキツネがついたら、自分が一番鎗で稲荷も御幣も神鏡も宮も鳥居も突き砕いてやる。途中の稲荷のキツネがついたのなら、その下女に向かい、落ちるか落ちぬか問うて、落ちぬなら下女を鎗玉にあげてくれるから、その方たちは左右からその下女を突き殺せ。生き長らえたところでキツネつきでは役に立つまい。さあ、遠山伊織の屋敷へ参ろうぞ」

と、手鎗をさげ、家来を引きつれ、真っ黒になって行ったので、伊織方ではその下女が、

「左金吾様がおいでになられ、奥へお通りではどうにもなりませぬ。落ちますから、左金吾様、どうぞ奥へいらっしゃらないで」

とおめき叫んだので、伊織も左金吾を奥へ通そうとしなかった。
が、ことの次第を聞いた左金吾は、どうしても下女と対面するといって奥へ通って下女を責めたところ、

「落ちますから赤坂の榎坂
(現:港区赤坂1−9〜10 米国大使館脇の坂)までお送りください」

と懇請するので、駕籠に乗せ左金吾が脇をかためて行き、榎坂の上の大名屋敷にさしかかったところでキツネが一匹、その屋敷内へ走りこんだよし。
その後はキツネが落ちたので、左金吾殿はキツネまで落とされるたいしたお方だと評判のよし。
一.
松平左金吾どのは、去年(天明7年 1787年)の米騒動のときにも、門前の町家へ米などの食料を配られたよし。
そのとき、近所の屋敷にも打ちこわしの暴徒が来るとの噂が流れたので、家来へ命じ、毎夜々々、大小を抜きはなち、鎗の鞘をはずして門内へ控えさせ、もし、当屋敷へ入りこんだら、切り殺すか打ち殺せ、鉄砲以外なら何を武器にしてもいいから一人でも入ったら命じてあるとおりに処置するようにといってある、と殿中で話していたよし。

西尾注:
米の値段が倍近くにあがったのは、米問屋が買い占め、売り惜しみをしているからだと、天明7年5月に、暴徒化した群衆が江戸市内の米屋や質屋などの商店を襲った。
町奉行所は鎮圧できなかったので、長谷川組をはじめとする先手組10組に出動命令が下った。
34組の中で選抜された10組は、いずれも組頭の年齢が65歳以下の組だった。
先手組頭は高齢化がそれほどすすんでいた。
リストのトップに長谷川組の名があがっているのは、弓組・鉄砲(つつ)組では弓組のほうが格が上、また、2組の弓組組頭では長谷川平蔵が先任者だったため(日本的な序列のつけ方)。
データを読み違えて、発令された10組の総指揮を長谷川平蔵がとったように書いている人がいるのは、史料の読みが浅い。
またこのときの動員人数を、1組の与力は10人、同心は30人だから、かける10組で、与力の総数100人、同心300人と書いている人もいるが、捕物担当の与力・同心は組の中でも半分以下……ということを知らないための算術。


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夕刊フジ(平成11年10月6日 掲載コラム)


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夕刊フジ(平成12年3月8日 掲載コラム)



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