(旧暦)2月は暮れが遅くなっている。
同心・小柳安五郎とお園は、まだ明るいうちに、程ヶ谷の本陣・{苅部] 清兵衛方へ入った。
火盗改メのお頭・長谷川平蔵(へいぞう 50歳)から、縁者ゆえよろしく----との速(はや)飛脚便が宿主あてにとどいていたので、夫妻は下にもおかないもてなしをうけた。
さりげなく、夫婦混浴がすすめられた。
照れたのは安五郎のほうで、お園はおおようによろこびで、湯船のなかでも夫の躰のあちこちを刺激くした。
夫婦や恋人同士にとっての混浴は、おんなにとっての羞恥心の垢捨て場なのかもしれない。
〔苅部屋〕とすれば、10年前のことだが建部(たけべ)大和守広殷(ひろかず 58歳=当時 1000石)が禁裏附に赴任するとき、公方(くぼう)たちへの献上品を奉るじるため本陣・苅部方へ宿泊したことがあった。
その貴品を狙った道中師・〔磯部(いそべ)}の駒吉(こまきち 40男=当時)一味を、平蔵の手くばりで程ヶ谷宿で捕縛したことがあった。
【参照】2011 年12月21日[部大和守広殷を見送る]
2011 年12月22日[道中師・〔磯部〕の駒吉]
本陣の宿主・清兵衛はその事件と平蔵の名を忘れていなかった。
平蔵からの手紙に、宿泊の翌日は半日、本牧(ほんもく)あたりを遊覧させてやってほしい----とも書状に添えてあった。
寝床のに中で豊満なお園の躰のあつかいいにもようやく馴れてきていた安五郎が、
「長谷川さまが本牧へ行けとおっしゃっているからには、お気がかりなことがおありなのであろう。お園は船は大丈夫か?」
「あなたの上でゆられているのはこころよいゆれですが――」
「ばか……」
ぴしゃり――お園の尻がぶたれた。
「お、ほほほ」
翌日は、熟春をおもわせるうららかな天候で、絶好の船びよりとなった。
海からの本牧は奇岩たちの行列出迎えといった趣きといってよかった。
(芒(のけ)村・姥(うば)島 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
(本牧塙 十二支天社 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
本牧吾妻権現宮に達したとき、小柳安五郎がじっと凝視をしたものがあった。
「安五郎さま。ここらあたりへも、弟橘媛(おとたちばなひめ)の遺品がながれつきましたか?」
お園は、夫の邪魔をしないように、小さく訊きながら夫の視線の先を追っていた。
漁師小屋らしい苫屋(とまや)の軒先に薄桃色なものが見えた。
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