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0070愛宕山円福寺毘沙門の使ひ

キャプション

愛宕山円福寺毘沙門の使いは、毎歳正月三日に修行す。女坂の上愛宕おやといへる茗肆(みずちゃや)のあるじ、旧例にてこれを勤む。 この日寺主を始めと支院よりも出頭して、その次第により座を儲け、強飯(ごうはん)をき饗す。半ばに至る頃、この毘沙門の使ひと称する者、 麻上下を着し、長き太刀を佩(は)き、雷槌(すのりき)を差し添え、また大なる飯(いい)がいを杖に突き、初春の飾り物にて兜を造り、 これを冠る。相従ふるもの三人ともに本殿より男坂を下り、円福寺に入りてこの席に至り、俎板(まないた)によりて彳(たたず)み、 飯がいをもて三度魚板(まないた)をつきならして曰く、

「まかり出でたる者は、毘沙門天の御使ひ、院家役者をはじめ寺中の面々、長屋の所化ども、勝手の諸役人に至るまで、新参は九杯、 古参は七杯御飲みやれ御のみや。おのみやらんによっては、この杓子をもって御まねき申すが、返答はいかん」といふとき、この一臈(いちろう) たるもの答へて曰く、

「吉礼の通りみなたべふずるにて候へ」と云々。

「しからば毘沙門の使ひは罷り帰るで御座ある」といひて、本殿へ立ち帰る。

広重『江戸名所図会』[芝愛宕山]

 

 

 

 

コメント

広重が、雪旦の絵を参考にしたことは知られているが、芝・愛宕山の「毘沙門の使い」を見て、両絵師の画業の違い・企画の差違をつくづくおもい知った。

『図会』で斉藤月岑は愛宕山円福寺「毘沙門の使い」の絵に、上記のキャプションを添えた。

雪旦は、伝統の行事を正確に伝達することに重きを置いている。

対する広重は、行事は衆知のこととしてか、「毘沙門の使い」をクロースアップ---感得させること、つまりは芸術に仕上げている。

後世のぼくたちは、雪旦の親切な筆のほうがありがたいのだが。

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