0433車返古事
(所沢市山口 来迎寺内)
解説
相伝ふ、往古(そのかみ)奥州伊達の秀衡(ひでひら 1122~87)仏工運慶をして一刀三礼にして、弥陀・観音・ 勢至一光三尊の仏躯を造らしむ。点眼(てんげん)供養の日、生身(しょうじん)の如来現然として来臨ましまし、 光明を放ち新仏を照らしたまへば、新仏もまた光明を放ちたまへりとなり。(略)
右大臣頼朝卿これを伝へ聞きたまひ、懇請しきりなり。秀衡(略)将軍の厳命黙止(もだし)がたく、速やかに承諾し、蓮輿(れんよ) を装飾(よそお)ひ、(略)鎌倉へ送りまゐらせんとする途中、武州府中の辺りに至りけるに、蓮輿大盤石(だいばんじゃく) のごとくにしてさらに動くことなし。
右幕下このことを聞こしめされ、鎌倉は本尊有縁の地にあらざるべしと、奥州へ還されん由、命蟻。これよりして、 その地を車返村と称すとなり(車返村、いま府中の近里にあり)。後霊示によりてこの堀の内村に安じ奉りたりといふ。