0484平塚城戦い
『江戸名所図会』巻之五 玉衡之部
キャプション
『鎌倉大草紙』に、「文明10年(1478)正月25日、道潅、豊島勘解由左衛門が平塚の要害へ押し寄せ責めければ、その暁没落して、 敵はなほ九間の城・小机の城に籠る」とあるは、この平塚のことなり。
鬼平熱愛倶楽部 2001 相州藤沢宿の秋山太兵衛
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『江戸名所図会』巻之五 玉衡之部
キャプション
『鎌倉大草紙』に、「文明10年(1478)正月25日、道潅、豊島勘解由左衛門が平塚の要害へ押し寄せ責めければ、その暁没落して、 敵はなほ九間の城・小机の城に籠る」とあるは、この平塚のことなり。
鬼平熱愛倶楽部 2001 相州藤沢宿の秋山太兵衛
コメント
あ、はは・・・
さすがの太兵衛さんも、弘法も筆の誤りをなさった。
自戒もふくめて、次回、白地に赤い日の丸に描きなおしを。
投稿者: 西尾 忠久 | 2006年03月10日 17:50
「平塚城戦い」は文明10年(1478)に太田道灌が豊島勘解由左衛門を
平塚(東京・北・上中里)の砦に攻めた時のことです。
左手前が桔梗の紋所の太田道灌側です。右奥は豊島氏側です。
奥の吹流し「日の丸」ですね。
元亀2年(1571)「北条氏政着到掟書」に豊島氏の支族宮城氏が「日の丸」を旗印にした旨が記されたのが
日の丸の初見史料だそうです。
ですから、奥の吹流しは、白地に赤が
正しかったのではないでしょうか。
投稿者: 相州藤沢宿・秋山太兵衛 | 2006年03月09日 22:00