上野広小路から新黒門町に出て、鰻屋の〔春木や〕へ入った半四郎は、ここでゆるりと食事をしたためた……。


『江戸買物独案内』には、〔春木屋〕は2ブロック東の和泉橋通りにある。町名を変えるのは池波さんの常套手段の一つだ。
〔春木屋〕の主張する元祖「土用の鰻」にひと言。
真夏の「土用の鰻」の考案者を平賀源内といっているが、土用は春夏秋冬の四回あり、江戸末期の『東都歳時記』は11月の〔寒中丑の日〕の項に、「〇諸人、鰻(うなぎ)を食す。」と書く。「土用の鰻」は11月のものだった。

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尾張屋版


『江戸買物独案内』(文政7年 1824)
 鰻の〔春木や〕


東叡山黒門前(『江戸名所図会』) 

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