平蔵の勘は的中していた。
 金子半四郎は、一ッ橋御門外の火除地にいて、平蔵があらわれるのをみた。

大塚の護国寺の隣へ移された護持院の、一ツ橋と神田橋の間の跡地が、護持院の原と呼ばれた。『江戸名所図会』はいう。

    林泉の形残りてすこぶる佳景なり。
    夏秋の間は、これを開かせられ、都下の人ここに遊ぶことをゆるさる。冬春の間は、ときとして大将軍家ここにご遊猟あり。

英王室のかつての狩猟場、ロンドン府ハイドパークの江戸版だ。


護持院ヶ原(『江戸名所図会』) 

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