その日……。
 おろくに出会ったのも、人足寄場からの帰途においてであった。
 折しも沛然たる雷雨が去った後で、長谷川平蔵は寄場の役人二名につきそわれ、小舟で船松町の渡し場へもどり着いた。


船松町と佃島をむすぶ〔佃の渡し〕とは別に、平蔵は、石川島=船松町間に専用の渡しを設けていた。

渡し跡の銘板
渡し跡の石碑

(c)copyright:2000 T.Nishio All Rights Reserved.