その日……。
おろくに出会ったのも、人足寄場からの帰途においてであった。
折しも沛然たる雷雨が去った後で、長谷川平蔵は寄場の役人二名につきそわれ、小舟で船松町の渡し場へもどり着いた。
船松町と佃島をむすぶ〔佃の渡し〕とは別に、平蔵は、石川島=船松町間に専用の渡しを設けていた。
渡し跡の銘板
渡し跡の石碑
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