ここは、〔いろは茶屋〕とよばれる岡場所であって、
貞享(1684−7 )の時代から谷中・天王寺門前にひらかれた遊所だ。


天王寺は、『鬼平犯科帳』の時代には感応寺といった。開基のころは日蓮宗。元禄12年に寺僧に不祥事があり、寛永寺へ賜って天台宗へ改めた。寺号を変えたのは平蔵死後40年を経た天保4年。忠吾がせっせと〔いろは茶屋〕へ通っていたころはまだ、感応寺。
五重の塔の再建は寛政3年(1791)。焼失は昭和32年(1957)。

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尾張屋版

谷中・天王寺(感応寺)(『江戸名所図会』) 


いろは茶屋(『歳点譜』) 


天王寺(『風俗更報新撰名所図会』)

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