お富は捨子であった。
(略)
 物心がついたとき、お富は、江戸市中でもそれと知られた掏摸の元締で、霞の定五郎の養女になっていた。


お富は〔霞〕の定五郎夫婦から掏摸として薫陶を受けた。が、夫婦の没後に後釜にすわった虎七が体を要求してきたため、かつて一人立ちの掏摸でいまは中仙道・板橋宿で古着屋を開いている市兵衛を頼って宮下町から逃げた。定五郎の〔霞〕の呼び名は、宮下町が霞町に近いことから思いついたか。
近くには、有名な一本松が長伝寺(港区元麻布1−2−2)門前にあった。[本門寺暮雪]は切絵図の誤植そのままに〔長善寺〕と……。『名所図会』の門前茶店〔ふじ岡〕も同話に……。

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尾張屋版


麻布一本松(『江戸名所図会』) 

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