あれから、庄五郎と弥市は、二、三度、東両国の〔明石屋〕という菜飯やの二階座敷で会い、押しこみの打ち合わせをやった。
菜飯やは『鬼平犯科帳』のころには賑わっていた。大根の葉をきざんで塩を薄くしませたのを飯へまぜただけのものである。これに豆腐のみそ汁なかをそえて出す。
『江戸買物独案内』(文政7年 1824)
菜飯屋〔明石屋〕
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