2005年 1月

――敬称略・逆日付順――


1月28日 14日 5日



1月28日
2005年01月26日(木)

没後15年記念特集号

発信:管理者の西尾―――

河出書房の[文芸別冊]として、[KAWADE夢ムック 池波正太郎 没後15年記念特集号]が2005年1月30日付で刊行されました。
単行本・大成未収録の数多くのエッセイや対談のほか、[3大シリーズを読む][池波正太郎を読む]などが、里中哲男、縄田一男、清原康正、筒井ガンコ堂さんらによって新たに執筆されており、ぼくもこれらの人たちに交じって[『仕掛人・藤枝梅安』を読む 名所図会からみる藤枝梅安]を書きました。


A4版 248ページ 1143円+税



1月14日
2005年01月12日(水)

『鬼平犯科帳』のテレビ視聴率

発信:学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス
   町娘さん

今日の「サンケイスポーツ」紙に、2月8日夜、鬼平テレビ・スペシャル版が放送されるという記事とともに、吉右衛門さん=鬼平の過去シリーズの最高視聴率が掲載されていました。

シリーズ 開始 終了 平均視聴率 最高視聴率 本数
1 元.7.12 〜 2.2.21 16.5% 20.3% 26
2 2.10.17 〜 3.3.27 16.8% 19.6% 21
3 3.11.20 〜 4.5.13 18.1% 23.6% 19
4 4.12.2 〜 5.5.12 17.5% 23.3% 19
5 6.3.9 〜 6.7.13 15.1% 20.2% 13
6 7.7.19 〜 7.11.1 13.6% 15.9% 11
7 9.4.16 〜 9.7.16 14.6% 16.4% 12
8 10.4.15 〜 10.6.10 14.9% 18.7% 9
中村吉右衛門が演じた「鬼平犯科帳」シリーズ

テレビ業界では、全国ネットの視聴率の1パーセントは100万人のが視ていると推定するとのことですから、多い時で 2,300万人、少ない時でも 1,500万人前後の人が鬼平を見ている計算ですね。
この方々が鬼平ファンだとすると、私たちの仲間は全国にすごい数いる……といえます。



1月5日
2005年01月05日(水)

霊雲院の昔と今

発信:管理者の西尾―――

2004年11月12日の[週刊掲示板]に、東村山市へ移転した霊雲院のことを掲示しました。
同じく11月18日の[お手軽 書き込み帳]に、東村山市富士見町3丁目在住の近藤さんから、同町5丁目の霊運院探索のご報告をいただきました。

そして、今年1月1日、ご一族の中村さんからご連絡をいただいたので、同氏のコメントとともに[週刊掲示板]をこちらへうつします。



2005年01月01日(土)

霊雲院について

発信:中村さん

初めまして。そして新年明けましておめでとうございます。
11月12日の日記を拝見しました。

実は私、霊運院を管理していました木船明子の孫です。私自身も8歳まで富士見町の家で育ちました。声をかけた前の家の方は林さん(大工さん)と思います。

霊運院について多少なりとも知っていることがありますのでお聞きください。

霊運院は元もと徳川吉宗によって建てられました。江戸時代は曹洞宗では永平寺、総持寺に次ぐ格式を持っており、石高も200石と、寺院としてはかなり高い寺領を持っていたようです。
しかし、場所柄、江戸時代に3度、明治に1度、関東大震災、東京大空襲で焼けてしまいました。昔のものはほとんど残っていません。

また、将軍家祈祷所であったことから幕府がなくなっ後は、財政状態も悪くなりました。戦後、私の砠父の木船全能が兼務住職となりましたが、深川の区画整理で東京都東村山市萩山町に移転、その後事情があって富士見町に移転しましたが、祖父が亡くなり67年から今の家になっています。
本尊他の残った仏具にはすべて葵紋がつけてあり、当時をしのばせるものも若干ありました。

庵主であった木船明子は4年前に92歳で亡くなり、今は千葉のお寺で管理しています。
ちなみに、曹洞宗は血脈で継ぐことはあまりないのです。もし、もう少しお知りになりたければご連絡ください。



2004年11月08日(月)

霊雲院のその後

発信:管理者の西尾―――

深川・万年橋の南(深川清住町)にあった曹洞宗の名刹「霊雲院」は、聖典の次の篇にも登場します。
[6-3 剣客]p79    新装p84
[15-3 闇]p135     新装p140
[15-4 流れ星]p193   新装p197
[15-6 落ち鱸]p253   新装p262
[15-7 秋天清々]p295  新装p306

広大な境内の霊雲院(『江戸名所図会』)

戦災で堂宇が焼失し、東村山市富士見町 5-10-53へ移転後、数年前に庵主が逝去しました。
東村山市図書館で講演をする機会が訪れたので、担当の同館奉仕係・宮後さんに、講演の前に訪ねてみたいと希望をのべたら、わざわざ事前探索をしてメールをくださいました。

住宅地図で見ますと、ご指摘の住所に〔曹洞宗霊運院 木船明子〕とあり、山号が雲と運で違います。図書館の資料ではだめで、ふるさと歴史館(郷土資料館)にも問い合わせましたが何も分かりません。そこで、今日何度か電話しましたが不在でしたので、また明日聞いてみます」
「今日、霊運院に行って見ました。普通の古い家で、ベルを押しても誰も出てきませんでした」

と、再度、足を運んでくださったがいつも留守だったとのこと。

講演の日はどしゃぶりの雨でしたが、車をまわしていただき、カメラにおさめました。


表札

しもたや風の全景

向いの家のおじさんの説明では、3年前に高齢の庵主が亡くなってからは無住になっており、とぎどき千葉の方から管轄している寺の人が見える。娘さんへの伝言があれは取り次いでもいい、と。
けっきょく、後継ぎがないまま、になっているようでした。有為転変、人の世の移り変わりと同じですね。



お送りいただいたメッセージは、整理・編集して、毎週金曜日にアップします




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