2005年 7月

――敬称略・逆日付順――


22日 19日 08日


7月22日
2005年07月22日(金)

蔵前の大護院

発信:みやこのお豊さん

大護院 「9−5 淺草鳥越橋」p169 新装版p176
 (元禄のころ、石清水正八幡宮を勧請したもので、
  別当を大護院と号し・・・・・)

 大護院は明治5年(1872)に廃寺になりました。
 その為札所は45番広幡山観蔵院(真言宗智山派)に移った

観蔵院 (台東区元淺草3−18−5 tel.03−3843−7244)
  このお寺の本堂にはブロンズ製の聖観音像が安置されていますが、
  三越本店のライオン像と同じ山田真山の作です。

 参考までに、 
 札所(仏教の霊場で参詣した記に札を受けたり、納めたりするところ)大辞林 


2005年07月22日(金)

相福寺

発信:豊島のお幾さん

目にとまった相福寺
浄土宗 開運山光福寺と明治12年に合祀いるようですね。
住所:港区高輪3-14
最寄り駅:都営三田線高輪台駅
「ゆうれい地蔵」なるものが有名らしいです。



7月19日
2005年07月15日(金)

架空の20寺院

発信:管理者の西尾から−−−

『鬼平犯科帳』に登場している江戸と江戸近郊で盗賊に押し入られる寺院は、ほとんど架空の寺院です。

新宿区
宗清寺(架空 鮫ヶ橋谷)
 [8-3 明神の次郎吉]p123 新装p130

大泉寺(架空  内藤新宿)
[22-4 人相書二枚]p124 新装p118
 (近江屋板の太宗寺 新宿 2- 9 2を早合点か)

文京区
西光寺(架空 小石川柳町)
 [17-3 鬼火 旧友]p98 新装p101
 [17-4 鬼火 闇討ち]p166 新装p171
 [17-6 鬼火 見張りの日]p255 新装p263
 [17-7 鬼火 汚れ道]p274 新装p285
 [19-1 霧の朝]p24 新装p24
 [22-8 迷路 托鉢坊主]P227 新装p216

西善寺(架空 巣鴨・子育稲荷の西)
 [8-5 白と黒]p222 新装p235

心行寺(架空 富坂)
[18-5 おれの弟]p176 新装p183

竜雲院 (架空 団子坂)
 [23  隠し子]p29 新装p29

台東区
浩妙寺(架空 谷中)
 [2-2 谷中・いろは茶屋]p83 新装p88

正林寺(架空 谷中・古門前町)
 [8-2 あきれた奴]p60 新装p62

長念寺(架空 谷中)
 [12-6 白蝮]p248 新装p260

竜源寺(架空  浅草阿部川町
 小柳安五郎の菩提寺)
 (同じ場所に了源寺 真宗  台・元浅草 3-17- 5)
 (〃    竜福院 真言宗 台・元浅草 3-17- 2)
 [8-2 あきれた奴]p48 新装p50
 [16-2 網虫のお吉]p57 新装p60

竜沢寺(架空 入谷田圃)
 [17-5 丹波守下屋敷]p203 新装p208
 [17-6 見張りの日々]p268 新装p276

墨田区
源光院(架空 柳島村)
 [5-2 乞食坊主]p70 新装p74

江東区
専光寺(架空 俗称藤の棚 東平野町)
 [1-8 むかしの女]p279

荒川区
天徳寺(架空 日暮里)
 [10-4 五月雨坊主]p151 新装p165 

豊島区
善徳寺(架空  巣鴨)
 [12-2 高杉道場・三羽烏]p70 新装p74

大源寺(架空 巣鴨本村)
 [14-4 浮世の顔]p152  新装p156

本明寺(架空 巣鴨庚申塚近く)
 [8-4 流星]p173 新装p182

渋谷区
清遠寺(架空 渋谷村)
 [4-1 霧の七郎]p25 新装p26

目黒区
真明寺(架空 中目黒)
 [12-3 見張りの見張り]p148 新装p155

松久寺(架空 中目黒)
 [10-6 消えた男]p247 新装p260

以上、合計20寺院。



2005年07月15日(金)

「正福院」と「心福院」

発信:管理者の西尾から−−−

「正福院」と「心福院」、じつは同じ寺院なのですが、切絵図の近江屋金吾堂板が、地図によって違えて板行しているため、篇によって異なる寺院のように池波さんが写した、珍しい例です。

文庫巻7[盗賊婚礼]p269 新装版p282
〔ふじや〕の裏手から道へあらわれた長吉が指ヶ谷の方へ去るのを、正福院いう寺の塀の蔭で見送っていた黒い影が一つ。


このとき、池波さんは、近江屋板「改正白山駒込辺図」を開いて、創作していたのです。


「改正白山駒込辺図」

文庫巻12[白蝮]p274 新装版p287
その印判師の家は、白山権現社に近い指ヶ谷町一丁目にあって、心福院(しんぷくいん)という寺の塀に沿った細道をすこし入ったところの小じんまりとした二階家だそうな。



このときの池波さんは、同じ近江屋板でも「本郷谷中白山小石川駒込図」のほうを開いて、執筆していたのです。


本郷谷中白山小石川駒込図



2005年07月14日(木)

不明寺院探し「本寿寺」

発信:相州藤沢宿の太兵衛さん

「本寿寺」 久遠山 日蓮宗。開山 日宜上人。
『鬼平犯科帳』13−6「一本眉」新装版p276 新装版p。
座頭「茂の市」夫婦が誘拐されるお話。
兇盗「倉淵の佐喜蔵」一味の盗人宿の料理屋「岸屋」は、

板橋中宿の西側にある乗蓮寺と「本寿寺」の間の道を西に入り---。

両切絵図「巣鴨染井王子辺図」の左上隅に「本寿寺」「乗蓮寺」とも載っている。

明治に入っての地図の同じ位置に「本寿院」の記載を見つけた。
「本寿院」で探した結果、

練馬区早宮2−26−11

江戸初期の創建以来、板橋仲町にあったが、昭和12年の中仙道改修の時この地に移転とあった。



2005年07月13日(水)

不明寺院探し「立法寺」「真成寺」

発信:相州藤沢宿の太兵衛さん

2−6「埋蔵金千両」p新装版p284。

小柄な老人の万右衛門と下女のおけいが住んだ千駄ヶ谷にある立法寺
(りゅうほうじ)裏の家。

この「立法寺」。日蓮宗、長廣山。
寛永八年(1631)青山権田原に立法院の日了上人が開山で創建。
後に千駄ヶ谷を経て大正9年現在地に。

現在地 杉並区和田2−16−3


『鬼平犯科帳』4−7「敵(かたき)」p265 新装版p279。

大滝の五郎蔵が平蔵・左馬之助に捕まる前に持っていた盗人宿があったのは、小梅村の真成寺という寺の裏手の雑木林の中にあった。

この「真成寺」。場所は本所「法恩寺」さんの北、今でいうと、日本たばこ東京工場。

これまた切絵図の誤りか?
(正)「真盛寺」と思われる。
真盛寺 天羅山 近江坂本西教寺末。

現在地 杉並区梅里1−1−1



7月8日
2005年07月08日(金)

行方不明の寺院探し

発信:相州藤枝宿の太兵衛さん

『鬼平犯科帳』24−2「お熊の茶店」p160 新装版p152の「本念寺」(ほんねんじ)。

切絵図では、近江屋板、尾張屋板とも「本念寺」。
同位置の現代の地図には「本然寺」。
これは、切絵図のダブリ誤植では、ないか?
「本然寺」は、台東区西浅草3−25−3
池波正太郎記念文庫のある建物の東です。

さらに、びっくり。
「本然寺」のインターネット検索に「お菊稲荷」。
これは「牡丹灯篭」の続き?



2005年07月06日(水)

不明寺院探し「光照寺」

発信:みやこのお豊

国昌寺(高輪台町39)
 「9−4 本門寺暮雪」p143 新装版p150
 「8−5 白と黒」p216 新装版p228

当HP「鬼平と歩く」コーナーの「本門寺暮雪コース」に詳しく案内されていますが、国昌寺は現存する承教寺(高輪2−3)の隣にあった寺院です。
元は江戸西久保にあったが、明暦の大火で焼け出され、ここ高輪に移りました。
しかし昭和初年に廃寺になった。

光照寺(真宗西本願寺派雲岳山)(麻布永坂4)
 「3−1麻布ねずみ坂」p35 新装版p37
 「22−7座頭・徳の市」p185 新装版p176

元は大和国吉野郡頃蘇村にあり、現光寺という名であった。寛永4年(1627)麻布永坂町に移ってきた。
昭和30年まではあったが、その後移転したか、廃寺になったかは不明。現在はない。




お送りいただいたメッセージは、整理・編集して、毎週金曜日にアップします




(c)copyright:2000 T.Nishio All Rights Reserved.