2006年 1月
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敬称略・逆日付順――
1月2
8
日
06
日
1月28
日
2006年1月28
日(土)
[泥亀(すっぽん)]コース、ウォーキング報告
発信:鬼平熱愛倶楽部 おまさ
ホントに風の強い日でした。
集合場所は「白金高輪」駅。出発前の腹ごしらえなのか、永田さまより「黒糖饅頭」がメンバー達に配られる。一口サイズでカワイイの。
きくところによると、谷中にある有名な饅頭らしい。
1個が・・・たったの10円なんだって!「谷中 福丸饅頭」。
おまさも今度、買いに行こ〜っと!
まずは、『魚籃坂』をテクテクと。途中、大信寺。目の前を通り過ぎるときに三味線の祖の石村近江の碑があった。
魚籃寺山門
『魚籃寺』。
江戸名所図会の「魚監観音堂」を片手に持って、見比べながら中へと入ってみました。
面影は・・・、
門は図会とおんなじ感じ。門の色が赤だってことは実物を見るまではわかんなかったけど。赤門は「女」で黒門は「男」を表すらしい。
本当は観音様に性別はないんだけど、女性の姿であらわすとか。
だから赤門?以前は漆塗りだったけど、今は違うみたい。漆風の塗料。
お地蔵様も図会とおんなじ場所にあった。塩地蔵だったんだね。
隣には亀岩という亀のカタチに見える岩がド〜ンと居座ってた。
入口では、来客を知らせる合図用の「鳥の声」が鳴る仕組みになっていたようで、メンバーたちが靴をそろえている間は鳴きまくっていた。
誰か勘違いしたようで「ドコ?」とか言ってたね。笑。
観音堂に通されて、先ずは用意されていた椅子とヒザ掛けとヒーターの暖かさに感激。外は寒かったもんね〜。うれぴ〜!
用意されたイスに掛けて
とっても面白く気さくなご住職さまでした。
「昔は品川宿に遊びに行く口実で参拝ってこともあったようだけど、皆は真面目だからそんなことは無いでしょう」とか言われて見に覚えのある御仁たちは苦笑い?
それにしても観音様が綺麗。裾をもっているところが艶っぽいの。
そこから見える金の裏地と金の鎖も綺麗だった。
魚籃観音像(実物を拡大)
天井絵は杉の木に書かれていて、一枚一枚に「鳥と草花・奉納者の名前」が書かれてありましたね。昔の人って信心深いんだな〜。
竜の天井絵も迫力。壁には、海で遭難したところを観音様が助けてくれるの図の版画。
見どころが沢山ありすぎて、ど〜しよ〜。
いっぱいお話を伺って、お礼の挨拶をして外へ。
観音堂正面の額板には「魚籃観世音菩薩」の文字。魚の字の上の点が《魚のカタチ》になっていますとのご住職さまの説明。ホントだぁ。心憎いね。
満ち足りた気分で次の場所へと再出発。
『等覚寺』はさらっと覗いただけ。狭い。
ここから先、『承教寺』の手前までは右側に細川越中守中屋敷の広大な敷地。
今は高円宮邸が。
その先に風情のある建物があると思ったら「虎屋」の看板。あの和菓子の虎屋と同じなのかな?この店の一角は不思議な雰囲気を醸し出しておりました。
『承教寺』。
入ってすぐ左側に「二本榎の碑」。変な顔の狛犬が2頭。頭と体の大きさがあまりにもアンバランスな感じで大笑い!髭面のオヤジ顔。
榎はこの場所ではなく別の場所に再現されて再植されておりました。1本だけだけれどね。
強い風の吹き荒れる中、はやる気持ちで桜田通りを突っ切り、明治学院大学前に到着。
いよいよ待ちに待った『長谷川伸邸』。
史跡ウォーキングで何度か来ているけど、いつもは「玄関先」までだし、門も閉まっているのに、今回は開いていたのでビックリ!
ワクワク感が加速してきちゃった。うれし〜よ〜。
長谷川師邸の玄関で靴を脱いで
前回、ワタクシおまさがお座敷に上がらせていただいた時は、西尾センセと管理人の佐藤さまの3人だけという状況だったので、センセたちの会話の中身は素人にゃ全然わからないし、話を聞くのが精一杯で緊張しまくりだった。
けど、今回はメンバー達も大人数だったから普通にしていられたよ。
それにしても再度、お座敷に座れるとはね!大感激。
池波さんも勉強会に出席した部屋で
前回「おまえのようなモノのくるところでは無いっ!」と睨まれているような気がした肖像写真も優しそうに見えたし。
佐藤さまから伺った「新鷹会」の勉強会・朗読会の様子は目に浮かぶようで、
鬼平熱愛倶楽部のメンバーたちが今いるこの場所に、凄い面々の作家の方たち、それも大好きな時代小説の(!)大御所たちが毎月きてたんだ〜、
と思ったら嬉しくって顔がニマついてしまった。あ〜、元に戻らないっ!しまりのない顔になってしまうぜよ。にゃはは。
特別に見せていただいた書庫の中は、大切な書籍を光で痛めないようにとの配慮から薄暗い状態。
書籍の山の壮観なことったら!「お〜っ、凄い。」
「土蔵に押し入って持ちきれない程の千両箱を見つけた盗人の気分」は今回も変わらず。
密偵おまさは盗人の気持ちになりつつあった・・・りして・・・。やばっ!
あたりまえだけど「長谷川伸 初版本」もあったし。垂涎。
あっという間の時間が過ぎて、去りがたい気持ちを振り切るように、おいとま。
コーヒータイム。『ELIZABETH COLLAR』。
ワタクシおまさは、コーヒーとチョコ寒天デザートにしてみました。
濃厚なチョコレートと寒天のプルプル感が不思議な感触。
ホイップクリームとクラッシュアーモンドがのっていて優しい味わい。
ホントは味わって食べたいのに、休憩残り時間があと5分足らずになっちゃって、やっと運ばれてきたと思ったら、流し込み状態。ぐっすん。
ラストポイント『瑞聖寺』。
重要文化財なだけあって、というか、格式があるからか、いつに無く神妙なメンバーたち。
瑞聖寺の本堂の雄大な外観
古市師から黄檗派のしきたりを聞く
古市師さまから「いくつか守っていただきたいお約束事」を教えていただき、みんな間違えないように従う。
真ん中を歩くのは厳禁で、端を歩く。中に入る時は「入る側の柱」と「同じ側の足」から入る。
ワタクシおまさは左の柱側から入ったので、左足から。
慣れないせいか、動きがギクシャク。まるでロボットのよう。
大雄宝殿の中はチトばかし、いつもとは見慣れない雰囲気。
中国風になっておりました。
瑞聖寺の大雄宝殿の中
お経を上げるときは立っていたり、椅子に座ったりするらしい。
それも「明語」でお経を唱えるんだとか。
それにしても古市師さまは「鬼平犯科帳」のみならず「池波正太郎」にそうとう詳しいとみた。
お話の中に出てくる出てくる。只者ではないなって・・・。
聞いているメンバーたちの顔が「おぬしなかなかやるな」って言ってたような気がしたもんね。センセの顔もニマついておったぜよ〜。
おまさは内容が難しすぎて途中からボーゼン???ギブアップだ。
とりあえずココで解散。お疲れさまでした〜。数人は帰路へ。
会食希望のメンバーたちは目黒駅近くの『とんき』。
池波正太郎の通ったというトンカツ屋さん。2階の個室に通される。
まずはビールで乾杯。寒かったから熱燗を何度もおかわりしてるメンバーも!
「酢の物・刺身/焼魚・串カツ・キャベツテンコ盛り・ヒレカツ/ロースカツ・豚汁・ゴハン・香の物」チョット胸焼け状態になる。
食べすぎかもね〜。ご馳走さま〜と、食べ終わって部屋を出てみてビックリした。1階の入口から2階までへと続く階段に長蛇の列。なんでこんなに凄いの?
2次会モードに突入。近くの天狗へと足が向き、またもや大騒ぎ。
みんな体力余りすぎだってば!
前回は終電が無くなっちゃって、タクシーに乗ったり、都内に泊まった面々もいたようだけど、今回は大丈夫だったのかしらん?
今回のウォーキングは凄いコースだったよね。
満足の一日でした。手配していただき大感謝です。
おつかれさまでした〜。
1月6
日
2006年1月6
日(金)
平が好んだ粥は?
発信:管理者の西尾から-----
元禄時代に出た人見必大(ひつだい)・島田勇雄訳注『本朝食鑑』(東洋文庫 5冊)、池波さんも江戸期の料理本を所有していたというから、これも読んでいたかも。
たとえば、粥の項。
粥は米を煮て糜爛(びらん)させたものである。生米を煮て煮爛(ただ)らかすのと、飯を煮爛らかすのとがある。
生米の粥は味が濃くて美味(おいし)い。
飯の粥は味が淡くて好い。
食する場合も、いずれにするかは気味の性に従えばよい。
近世(ちかごろ)、米を糒(ほしいい)のように麁末(あらびき)に磨(ひ)き、これをよく煮熟(に)て粥をつくる。これを俗に割粥(わりかゆ)という。
それに対して米および飯を煮熟て粥にするのを円粥(まるかゆ)という。
鬼平は朝、白粥に葱を散らしたのとか、玉子を落としたのを梅干とともに食するが、あれは、生米から煮たものか、飯を煮たものかは、どこにも書かれていない。
『和漢三才図会』は、粥?(じゅくせん カタカユ)、粥(シルカユ)、?(オモユ)とし、粥?がいまの飯と。
関西に毎朝粥を食べる風習があったのは、関東では朝に飯を炊き、関西は昼に炊くため、そのあまり飯を粥にしたのである(『味覚事典』東京堂出版)と。
---すると、鬼平家は関西流? 池波さんは東京の生まれだが?
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