2006年 5月

――敬称略・逆日付順――


5月28日 30日


5月28
2006年5月28日(日)

満足、満足、雲竜剣ウォーキング

発信:靖酔
「正源寺は、本陣の手前の火ノ見櫓の傍へ切れこんだところにあった。山門を入ると石畳の道が傾斜して茅葺屋根の本道へ通じている」と池波さんが描写しているこの地を歩くことが私の今回のウォーキングの目玉でした。
牛久城大手門跡に隣接する小川芋銭の菩提寺得月院(俗称河童寺)から水戸街道への道を行く、道の両側は旧家らしい大きな屋敷が続く。同行の女性が入江、橋場姓の家が多いと指摘、そう言われてからついつい表札を見ながら歩いてしまう確かにそうだ。
水戸街道に出る。先生から配布された牛久宿図を見ながら下町から上町へと街道をゆく。これは司馬遼太郎の世界だ。
赤の矢印の上に正源寺と書かれた案内版、得月院から30分だ。
本陣の後は農協に、火ノ見櫓のあとは消防団倉庫に変身だ。

火の見櫓は消防器具置き場(手前)に、本陣(先)は農協に。
旧水戸街道ぞい

しかし道は嘘をつかない。小説の通りに左に入る。
山門がある、この山門の佇まいが好い、楼上には格子戸がはまりなかなかの風情だ。ご住職のお話ではこの楼上は戦前まで鐘楼で、山門と鐘楼が一つ家だったのだ。

山門の前では石像の仁王様が我が一行を出迎えてくれている。

正源寺の仁王像と山門

山門から本堂へ緩やかな傾斜の石畳である。
ああ雲竜剣と同じ、左馬之助の歩んだ道だとつぶやく。
小説では「正源寺の和尚は、こころよく左馬之助を庫裡の一間へ請じてくれた」とあるが、まさにその再現でした。
穏やかな笑みを浮かべたご住職が我々を旧本堂へ請じてくれました。
この後ご住職から正源寺のお話を拝聴、本堂を案内してくだる。お茶とお菓子のもてなしまで受けました。


旧本堂で


新本堂で解説を聞く

本当に心好いひと時を過ごしました。



2006年5月28日(日)

「雲竜剣」左馬之助と共に

発信:みやこのお豊
今回のウオーキングは「鬼平犯科帳」文庫15「雲竜剣」の一舞台藤代宿、牛久宿をウオーキング。

コース
常磐線藤代駅集合 − 藤代本陣跡 − 小貝川ー
藤代図書館(コーヒータイム)− 讃岐駅 −牛久城址
ー 大手門跡 −八坂神社 − 上町 − 正源寺 −牛久駅解散  行程4キロ

左馬之助が藤代から牛久へと渡った小貝川。
関東平野を北から南へ流れる全長1118mの洪水を度々
おこしたあばれ川。


蛇行する小貝川


堤防上で小貝川を見る

今両岸はサイクリングロードに整備され、ジョギングする人、犬の散歩をする人がありました。

堤防の下の中洲や岸辺には未だ自然が沢山残っていて水鳥のいるような気配でした。

多分晴天ならばこの小貝川の前方に雄大な筑波山が眺められたことでしょう。

藤代までは江戸から水戸街道を13里、今でも都心を少し離れただけで、こんなにのどかな光景にであえるのですから、当時はどんなに小さく静かな宿だったでしょう。

こんな場所で鍵師助次郎や堀本伯堂の消息を探るのは
困難だったでしょうね。

牛久宿は靖酔さんのご報告とおりです。

のどかでゆったりとウオーキングを楽しみました。

正源寺のご住職、先生、幹事さん お世話になりました。ありがとうございます。



2006年5月28日(日)

利根川を越え

発信:田無の弱法師
鬼平・熱愛の面々は六月の史跡めぐりで、利根川を越えて常陸の藤代・牛久へ出張った。

藤代は江戸から十三里。田園風景が目を和ませてくれる。小貝川の堤防に立つと岸井左馬之助らも見ただろうと思われる情景が広がっていました。

そして、牛久へ。駅前でタクシーをまった。新参加の岩崎さんと弱法師が、西尾先生のお話を聞ける幸運を得ました。

牛久沼と水戸街道の位置関係。左馬之助が鍵師・助冶郎をつけて、曲者に襲われた場所など、先生のお話は、とても臨場感がありました。

正源寺の地形の描写でも、『山門を入ると石畳の道が傾斜して』と寺には珍しく下るように書かれている。実際はそうなんだから、池波先生は正源寺へ来ておられる。と、西尾先生。
着いて見ると、そのとおり。思わず「おぉう」と声をあげてしまいました。


正源寺のゆるやかに下る石畳


正源寺の新本堂

傾斜を下りて、茅葺きでない本堂へ。
ここでの歓待が、また嬉かった。
住職さんのお話も、寺の沿革から、建造物の由来。内陣に掲げられた文字の説明など、本当によい勉強をさせて頂き感謝のほかありません。

ここで、ちょっと面白かったのは、松葉牡丹のお話。思わず笑ってしまいました。ご住職、なかなかの役者ですねぇ。有難うございました。

小川芋銭の河童には会えませんでしたが、充実した一日でした。新人歓迎を兼ねた、懇親会場へたどり着いたときは夕景が忍び寄っていました。

先生はじめ、お世話してくださった皆さん、有難うございました。



2006年5月28日(日)

富江から

発信:田無の弱法師
藤代・牛久ウォーキング参加させて頂いて有難うごいました。遅くなりましたが、感謝と感想をおくらせていただきます。

藤代にて。
岸井左馬之助が渡船でこえた小貝川のたたずまいは、当時と変わらないような気がしました。場所はもう少し佐貫よりかなあと思いながら。水辺に立ち枯れている芦の葉に目を遣った。


牛久にて。

眼前にひろがる沼を見て、正源寺の先住と、堀本伯道。そして私の生まれ故郷「近江の八日市」の入り江との感じが似ている様に思えた。池波先生の意識はどうだったのでしょうか。

当日は、雨も降らず何よりでした。皆様ほんとうに有難うございました。
  H18・5・28      富江 幹雄



5月30
2006年5月30日(火)

陸前浜街道について

発信:西尾 忠久
豊島のお幾さんプログから転載---
(藤代の公民館の前の道の命名の由来です)。

陸前浜街道 東京都中央区日本橋から宮城県岩沼市に至る街道の名前で、現在の国道6号線に該当する。江戸時代には、水戸では日本橋から茨城県水戸市までを水戸街道、水戸市から岩沼市までを岩城街道(もしくは磐城街道)などと呼んでいたが、明治に入り両街道をまとめて陸前浜街道として扱うようになった。公式な文書に名が残るのは、陸前浜街道という名を用いた通達が出された1872年から、国道に番号制度ができる1885年の間のわずか13年間である。なお、常磐線取手〜藤代間をはじめとして、成田線・新金線などを交差する踏切には「陸前浜街道踏切」「浜街道踏切」などの名称を持つ踏切がいくつも存在し、現在も名を残している。



お送りいただいたメッセージは、整理・編集して、毎週金曜日にアップします




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