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2003年05月22日(木) 14:25 |
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文庫巻10に登場する〔荷頃〕の半七 |
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発信:新潟県栃尾市行政管理課 広報広聴係
石丸さん |
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戦国の武将・上杉謙信の旗揚げの地・栃尾には、静御前、那須与一、酒呑童子と茨木童子、弘法大師など、かずかずの伝説があり、語り継がれていますが、『鬼平犯科帳』巻10に登場する〔荷頃〕の半七に関する伝説は、残念ながらありません。
『栃尾市史』は、「中村検地帳」(慶長3年[1598])の栃尾郷に濁(荷頃)村の名前が見えていることを報告しています。
『栃尾市史 別巻2』は、荷頃は栃尾市街地の南西約4キロに位置し。「北荷頃・一之貝・軽井沢・比礼・本津川の五集落で旧荷頃村を形成」していたといいます。北荷頃の開村を大同3年( 808)とする伝承もあり、縄文土器も出土しています。
『鬼平犯科帳』の時代に近いといえる天保12年(1841)の戸数は 147、人口は 919人です。
明治10年(1877)の荷頃を地誌は、田は23パーセント、畑が約14パーセント、山林61パーセントとも報じ、稲作のほかに大豆・小豆・栗・蕎麦・里いも・大根を記します。秋には広瀬辺(北魚沼郡)から炭を買って長岡藩の家中へ入炭もしていたとも。
栃尾縞紬の創始(天明から寛政のころ)の地としても記録されています。
荷頃村が市に合併されたのは昭和29年(1954)6月1日でした。
小冊子「2001 栃尾市勢要覧 湧水楽園」より
栃尾紬(つむぎ) 小冊子「2001 栃尾市勢要覧 湧水楽園」より
なお、小千谷市に「南荷頃」という地名があると承知しておりますので、参考までに申し添えます。
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