ぼくは『鬼平犯科帳』を連載したときの『オール讀物』の編集部員ではないので、あくまで類推でしかお答えできませんが……。
池波さんは、昭和42年(1967)に『オール讀物』から4篇の単発短編の依頼を受けました。
[正月四日の客] 02月号 盗賊もの
[坊主雨] 04月号 仇討ちもの
[ごめんよ] 09月号 剣客もの
[浅草・御厩河岸]12月号 盗賊もの
この[浅草・御厩河岸]の原稿を受け取りに池波邸へ行ったのは、入社2年目の花田紀凱さん(のち『週刊文春』の編集長後、退社)でした。
その花田さんの文章があります。
「長谷川平蔵という、ちょっと面白い男がいるんだがねえ」 池波さんが、そう言い出したのは昭和42年の秋だった。「火付盗賊改方の長官でね……人足寄場を作った……」
火盗改メも人足寄場も初耳だったぼくは、ただ、はあ、はあと頷いてばかりいた。
つまり、池波さんのほうから持ちかけたのですね。それまでに『週刊新潮』64年01月06日号の[江戸怪盗記]、『別冊小説新潮』65年夏号の[白浪看板]に長谷川平蔵をちらっと登場させたのに、どこからも注文がこなかったので、しびれをきらしたのでしょう。
すぐに連載ということになり、新年号に[唖の十蔵]。連載にはシリーズ・タイトルが必要……。
〔本所鬼屋敷〕〔本所の鬼平〕〔本所の銕〕〔鬼平捕物帳〕など、いろいろ出たが、ギリギリになって〔鬼平犯科帳〕に決った。犯科帳という語感が、実に新鮮だった。
そのとき、ひらめいたのは4年前の昭和37年(1962)に出た『犯科帳 長崎奉行の記録』(岩波新書)だったと雑誌『ダカーポ』(2000年12月06日号)で花田さんが告白しています。
『犯科帳 長崎奉行の記録』(岩波新書)
〔犯科帳〕に「鬼平」をくっつけて『鬼平犯科帳』。御台さんのおっしゃるように、『鬼平犯科帳』だからヒットしたのかもしれませんね。
さて昨夏、平岩弓枝さんからおもしろい話を聞きました。長谷川伸師宅へ集まる〔新鷹会〕で、岩波新書の『犯科帳 長崎奉行の記録』が出てすぐ、「これ、おもしろい」と吹聴したのが平岩さんだったと。
「その証拠に、わたしの『御宿かわせみ』の第1話[初春の客]は『犯科帳』がヒントの長崎がらみの話でしょ?」平岩さんはこういって、美しくにっこり。
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