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2003年05月26日(月) 16:42 |
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[本門寺暮雪]、此経難持坂の決闘 |
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発信:東京都大田区在住
フォトグラファー・樋口和則さん |
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平蔵と凄い奴との決闘は、池上本門寺の「此経難持坂」で行われました。
ここに池波さんの鋭い舞台設定を見ます。
自分の有利な場所を選ぶ、尋常な勝負ではなく、暗殺なのですからとうぜんの選択です。
なぜなら、平蔵たちは番傘をさしていた。傘をさして坂を登る、視界はとうぜん足下と前の石段にしかいかない。
上からの攻撃は気配だけでしか感ずることができない。
また、攻撃をかわす手段として後ろに退く体制がとれないのである。
凄い奴のほうは、反撃の予測としては足を払われることのみを注意すればよい。
凄い奴は念を入れ、心理的にほっとする頂上まで 5〜 6段の所を攻撃場所に選んだ。写真を見て頂くとわかるが、ほっとして仁王門に注意が奪われる瞬間である。
加藤清正が寄進造営した頃から、余り変化がないという坂は、切石を並べた96段。
名は経文「此経難持」にちなんでいる。
一段の高さは18センチほど、普通よりやや高い、登り切るとほっとする。
踊り場は 6箇所、井関録之助は上から最初の踊り場まで落ちた。
凄い奴も平蔵の体当たりを受けて太刀を落としてここまで落ちた。後は飛んで逃げ総門のところで切られるのである。
池波さんはこの坂を実際に登ったことがあるはず。池波さんは戸越銀座に住んでいられた。とうぜん、本門寺の御会式を見たことがあるだろう。そんなことを感じさせる決闘場面である。
タイトルの[本門寺暮雪]も、景色のすばらしいことを謳った大森八景の「富士暮雪」と「本門寺晩鐘」を組み合わせたものではないだろうか。
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