〔鷺原〕の九平について




2003年09月28日(日)  14:12

波自加彌神社、お参りしてきました。

発信:前田cさん

由緒というのか、歴史の重みを感じてきました。
かなり階段を上って神社があって、後ろのうっそうとした森にも厳かさを感じました。
父母(母は病院から一時外出をして)と一緒に行きました。(ちゃんと車でも神社まで登れるようになってます)
香辛料・医薬・産業の神様ということで、兄が薬剤師(今は病院ではなく厚生??省にいるのですが)なのと、リウマチは投薬治療しかないことで、近くにいてもこれまで全く知らなかったのだから、両親ともに、これもなにかの御縁だと、大変喜んでいました。
場所がわからなかったので、従兄弟が神社近くに住まいの知人に場所を聞いてくれ、そこを訪ねたところが一軒家。どうやら田近宮司さんのお住まいとのことで、慌てて通りがかった方に聞きなおして神社へ行きました。
さすがに直接宮司さんを訪ねることはできませんでした。という、ちょっと楽しい寄り道もしてきました。

石段下の一の鳥居

拝殿


管理者:西尾からのレス

文庫巻7[兇賊]の芋酒屋の亭主・九平が加賀の田近谷の出身ということで、金沢の波自加彌(はじかみ)神社の田近宮司さんから、08月22日付でメッセージをいただいていました。
羽咋ご出身のcさんが、帰省ついでに参拝なさるということだったので、写真をお願いしておきました。
波自加弥神社は香辛料だけでなく医薬にも関係があるとのこと、ご入院中のご母堂とお父上ともども参拝されたそうで、よかったですね。



2003年08月22日(金) 10:58

田近谷について

発信:金沢市・波自加彌(はじかみ)神社
   宮司・田近章嗣さん

私は、〒920―0107 金沢市二日市町 131番地に住む延喜式内の古社……波自加彌神社(はじかみ神社)第20代宮司の田近章嗣(たぢかあきつぐ)といいます。
当神社は、生姜・山椒など香辛料の古称「薑=はじかみ」の神を祀る神で、毎年 6月15日に、SB食品や味の素等県内外の食品スパイス関係者、調理師、薬種関係者が多数参詣に訪れて「はじかみ大祭」、通称しょうが祭りが行われ賑わいます。昨秋、1300年の式年祭を執行しました。
田近とは、歯で噛んで辛いもの「はじかみ」が「田鹿」となり、さらに「田近」へと転語したものです。
田近郷は明治に田近村となり、明治40年の合併で花園村に、さらに戦後森本町になり、その後金沢市との合併で田近の大字名田近地区としてわずかに残っています。


管理者:西尾からのレス

あ、宮司さんじきじきのメッセージ、恐縮です。
6月16日付、文庫巻5[兇賊]の芋酒屋の亭主で、一人ばたらきの〔鷺原〕の九平の出身が加賀の田近谷でした。
宮司さんは「田近」さんとおっしゃるし、延喜式にも載っているほど由緒の深い神社なのだし、食通の池波さんのこと、波自加彌神社に参詣、もろもろのいわれを知ったうえで、〔鷺原〕の九平をご当地の出身としたのかも。



2003年06月17日(火) 01:46

「板尻」「田近谷」〔鷺原〕について

発信:前田Cさん

こちらのHPでは初めまして。こんばんは。
御台さまのところでお話させていただきました、前田Cです。
楽しく、へぇ〜、はぁ〜、ふーむと読ませていただいております。
盛り沢山の内容とやはり内容が難しいので、すべて見るにはもう少し時間がかかりそうです、が、楽しみがまた増えました!!
私は石川県出身ですが、「板尻」「田近谷」〔鷺原〕と、鬼平で出てきた時に現在の地図では探してもなかった、というところ迄で終わっています。
どういう風に探せばいいのかもあまりわからないのですが、今度帰省する時には、そういう気持ちも持って帰ってきます!
では、とても楽しく見せていただいているご報告まで。
ありがとうございます。


管理者:西尾からのレス

偶然といいますか、前田Cさんの勘の冴えといいますか。文庫巻5[兇賊]に登場する、加賀の国の田近谷村生れの〔鷺原〕の九平にまつわる「田近谷」、その九平を盗人に育てた(?)これまた加賀の板尻生れの吉右衛門。この「田近谷」「板尻」についての堀さんの鋭くユニークな考察がとどいてすぐに、前田Cさんのメッセージ。
これからもお気軽にあそびにいらしてください。
そうそう、堀仮説に対するご意見も、地元出身者代表としてお聞かせいただけると、うれしいな。



2003年06月16日(月) 14:41

石川県の情報 文庫巻5[兇賊]の「田近谷」〔鷺原〕〔板尻〕に
関する迷論

発信:学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス
   堀 眞治郎さん

この三つの加賀の地名について昨年11月よりいろいろ調べましたが、「田近」を除くとまったく情報がありません。そこで例によって独断と偏見で迷論を創造してみました。「田近」は、吉田東吾博士『大日本地名辞書』(第5巻p114)に記述があり、
「河北郡、今田近村と云ふ。大字深谷に塩類性の冷泉湧出す、隣接して花園村の岸川にも同性の冷泉有り、近年浴場開きたり。神祇史料云、式内加賀郡波自加弥神社は二日市の田近山に在り。(二日市は今花園村に属す)」
また『角川地名大辞典』では、
「田近村(金沢市・津幡町)明治 22-40年の河北郡の自治体名。梨ノ木平山の西麓に位置する。滝下、松根、中尾、上平、琴、琴坂、北千石、南千石、今泉、朝日牧、朝日、榎尾、向山俵原、千杉、鞁筒、四坊高坂、四坊、浅野深谷、浅谷の20ヵ村が合併して成立。旧村名を継承した20大字を編成。村役場を四坊高坂に設置。村名は村内を通る田近往来と当地域を田近18ヵ村と俗称したことによる。(合併誌)明治22年の戸数 336、人口 1,915。山村であるため薪炭の生産やミカンなどの果実栽培を主産業としている。明治40年花園村に合併。20大字は花園村の大字に継承された。この田近往来(道)は北国街道の脇道であり、加賀より越中への最短ルートであった。昨年の NHK大河ドラマ〔利家とまつ〕で天正12年(1584)の前田利家と佐々成政の戦いの前田方の朝日山城、佐々方の一乗寺城はこの田近道に面していたということである。
田近村は明治になってからの村名であるので、池波さんはこれを使用せず、大日本地名辞書の田近山からの連想で、材木川、藤又川が流れていることから、「田近谷」という村名を作られたのであろうと私は想像しました。
〔鷺原〕については、金沢市の地図を眺めていますと、南端に「鴛原」という地名があります。また金沢市の西側には鶴来町があることから、鴛鴦や鶴などが飛来していたと想像され、「鷺」も飛来していたと考えても無理はなく、読みの響きから[鷺原]という地名にしたか? あるいは単なる字の見間違い、思い込みによるのであろうと想像しました。
「板尻」については見間違い、思い込み説が濃厚であろうと思っています。これは上述の鶴来町にある「坂尻」から間違えたのであろうと思います。誰が間違えたのかはノーコメントとします。


管理者:西尾からのレス

「鴛原」→〔鷺原〕
「坂尻」→〔板尻〕
なるほど、ありうる間違いですね。早とちり屋でもある池波さんの見間違いなのか、当時はまだ活字をひろって組んでいましたから、植字屋さんの見間違いなのか。

参謀本部陸地測量部 明治21年製。赤丸印はのちに田近村を構成した字々(あざ)。
画像内 をクリックすると、拡大画面が表示されます。


もし後者だとしたら、池波さんにいってあげたかった、
「ワープロをお使いになれば、間違って活字をひろわれることはありませんよ」
と。いや、20年ほど前。読売新聞社の映画広告賞の審査員をごいっしょにしていたとき、2人とも気ぜわしい質なので、審査開始の30分前には到着していました。
その日。ぼくが早く到着し、社側の人たちと談笑しているところへ池波さんが見え、
「面白そうに、何の話をしているの?」
「あ、ワープロです」
とたんに、池波さんは、
(そんなものをつかっているから、おぬしは文章がうまくならないんだよ)
といった感じの情けなそうな目つきになりました。
いや、日本にまだワープロが3万台ほどしか普及をしていなくて、ぼくのはパナソニックの 298万円+金利のマシーンだったのです。落ち込みましたねえ。
でも、ほんと、ワープロ原稿だと、堀さんに揚げ足をとられることはなかったでしょう。
まあ、第一の罪は、版元の校正者が負うべきですがね。





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