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2003年06月16日(月) 14:41 |
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石川県の情報 文庫巻5[兇賊]の「田近谷」〔鷺原〕〔板尻〕に
関する迷論
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発信:学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス
堀 眞治郎さん
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この三つの加賀の地名について昨年11月よりいろいろ調べましたが、「田近」を除くとまったく情報がありません。そこで例によって独断と偏見で迷論を創造してみました。「田近」は、吉田東吾博士『大日本地名辞書』(第5巻p114)に記述があり、
「河北郡、今田近村と云ふ。大字深谷に塩類性の冷泉湧出す、隣接して花園村の岸川にも同性の冷泉有り、近年浴場開きたり。神祇史料云、式内加賀郡波自加弥神社は二日市の田近山に在り。(二日市は今花園村に属す)」
また『角川地名大辞典』では、
「田近村(金沢市・津幡町)明治 22-40年の河北郡の自治体名。梨ノ木平山の西麓に位置する。滝下、松根、中尾、上平、琴、琴坂、北千石、南千石、今泉、朝日牧、朝日、榎尾、向山俵原、千杉、鞁筒、四坊高坂、四坊、浅野深谷、浅谷の20ヵ村が合併して成立。旧村名を継承した20大字を編成。村役場を四坊高坂に設置。村名は村内を通る田近往来と当地域を田近18ヵ村と俗称したことによる。(合併誌)明治22年の戸数 336、人口 1,915。山村であるため薪炭の生産やミカンなどの果実栽培を主産業としている。明治40年花園村に合併。20大字は花園村の大字に継承された。この田近往来(道)は北国街道の脇道であり、加賀より越中への最短ルートであった。昨年の NHK大河ドラマ〔利家とまつ〕で天正12年(1584)の前田利家と佐々成政の戦いの前田方の朝日山城、佐々方の一乗寺城はこの田近道に面していたということである。
田近村は明治になってからの村名であるので、池波さんはこれを使用せず、大日本地名辞書の田近山からの連想で、材木川、藤又川が流れていることから、「田近谷」という村名を作られたのであろうと私は想像しました。
〔鷺原〕については、金沢市の地図を眺めていますと、南端に「鴛原」という地名があります。また金沢市の西側には鶴来町があることから、鴛鴦や鶴などが飛来していたと想像され、「鷺」も飛来していたと考えても無理はなく、読みの響きから[鷺原]という地名にしたか? あるいは単なる字の見間違い、思い込みによるのであろうと想像しました。
「板尻」については見間違い、思い込み説が濃厚であろうと思っています。これは上述の鶴来町にある「坂尻」から間違えたのであろうと思います。誰が間違えたのかはノーコメントとします。
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