おまさについて



2003年2月10日(月) 10:46

〔法楽寺〕の直右衛門って北近江出身?

発信:仲間内では、おまさと呼ばれている「おまさ」さん

わたし、おまさ----といっても、仲間うちでのニックネームだけど。
物語中のおまさって、父親の〔鶴(たずがね)〕の忠助が逝去してから、父親も関係していた〔法楽寺〕の直右衛門を頼り、けっきょく、〔乙畑(おつばた)〕の源八の配下になったのでしたね。
〔法楽寺〕って頭領ですが、『蝶の戦記』の姉川の合戦のとき、甲賀の忍者たちがひそんだのが、「法楽寺」なんだけど、池波先生は北近江のここから通り名をとったのでしょうか?
自分の父親のお頭なので、気になって仕方がありません。


管理者:西尾からのレス

たしかに、『蝶の戦記』(文春文庫)下巻には、「法楽寺」って地名が出てきますし、作品は『鬼平犯科帳』の連載に先立つ前年、すなわち1967年(昭和42)から信濃毎日新聞ほかに約1年間にわたって連載されたものですから、『鬼平犯科帳』への波及もあったといえましょう。お尋ねの北近江の「法楽寺」は、1888年(明治21)に参謀本部陸地測量部のつくった地図でみると、浅井長政の居城の小谷山から14キロばかり東南のところにあった集落です。『蝶の戦記』の執筆のために姉川周辺……春照(しゅんしょう)や野村、三田や千草などを現地取材した池波さんの記憶にとどまった地名でもあったのかも。が、〔法楽寺〕の直右衛門の「法楽寺」は、栃木県足利市の本城山の東南麓にある寺からとっているようにおもいます。根拠は、文庫巻4[おみね徳次郎]に登場する直右衛門腹心の〔名草〕の嘉平の「名草」という町がやはり足利市にあるからです。これはかつての「名草村」で「法楽寺」に近いところてはないかとおもうのです。まあ、このあたりは、足利市にお住まいの鬼平ファンのご教示を得たいところです。

『蝶の戦記』上巻(文春文庫)

『蝶の戦記』下巻(文春文庫)


参謀本部陸地測量部の作製の地図(1888)による北近江の「法楽寺」「小谷城」「春照」など。

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参謀本部陸地測量部の作製の地図(1887)による足利市近辺の「本城(法楽寺)」と「名越」


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2003年1月25日(土) 21:46

(自称)虫食いぼけ院長先生の私観を読んで

発信:朝日カルチャーセンター(新宿)〔鬼平〕クラス あいこ浩さん

こ円満字外科医院「(自称)虫食いぼけ」院長先生の、[「小股」…私観]拝見しました。
さすが院長先生ですね、「大腿内転筋群」ですか。
先生は経験で確認されているそうですが、残念ながら小生中老の身でありながら、いまだかってそう言う女性との出会いがありません。
ですが、男性にとっての理想の女性像ですね。
そういう男性の願望から生まれた言葉でしょうかね。
実はこのテーマをアップしたのは、「小股の切れあがった江戸前のおまささん」のアップ読んで、朝日CC〔鬼平〕オフ会での話題を思い出したからです。
あるテレビで(多分NHK教育放送だったと思いますが)、ある先生が「小股の切れ上がったいい女」の小股とは、足の親指と他の指の間(外見上は足袋のそれ)と断定されていました。
オフ会で、その話をしましたら、喧々諤々、その説の根拠を持って来いということになって、残念ながらぼけの始まった頭では、もともとそれほど注意してテレビを見ていたわけではないので、放送局名も先生の名前も番組名も頭から欠落していました。
しようが無く色々調べたわけです。(それもずるしてイージーな方法でです)
今日からは、ハンドルネームを変更したいです、「小股の切れ上がった中老のボケ・・あいこ浩」とでも。
以上のような事情で、小生自身、「小股」について確たる私見を持っているわけではありませんが、いづれにしても「着物を着たすらりとした女性」のはっきりとは見えにくいが、外見から想定できる部位ではないかと思いますね。


管理者:西尾からのレス

院長先生の望外の参加もさることながら、小股説を読むためでしょうか、アクセス数が急上昇しています。
あいこ浩さんの功績度、大……です。



2003年1月15日(水) 11:22

「小股の切れ上がったいい女」の小股って?

朝日カルチャーセンター〔鬼平〕クラス あいこ浩さん

「小股の切れ上がった〔江戸前〕のおまささん」の書きこみを読み、先日朝日CC〔鬼平〕オフ会での議論を思い出しました。
鬼平ファンが『鬼平犯科帳』で「小股の切れ上がったいい女」といえば先ず挙げるのが「おまさ」と「お園」、しかし作家の池波正太郎さんは2人を言葉の上で「小股の・・・」とは書いてないですね(どこかに書いているかもしれないけど、小生浅学のため知りません。あったら教えてください)
それなのに「小股の切れ上がった・・・」と言えば、大方の人が、この2人をイメージしてしまうのは何故でしょう?
そもそも「小股の切れ上がった」とは何だろう?まず、この2人の登場場面を『鬼平犯科帳』に見てみましょう。

☆……小肥りな少女だったおまさは、すっきりと〔年増痩せ〕していたのである。
おまさは、三十を超えていた。肌は、江戸の女の常で浅ぐろいが荒れてもいず、身なりもきっちりとしてい、黒くてぱっちりとした双眸とおちょぼ口がむかしのおもかげをやどしていた。
(文庫巻4[血闘]p136 新装p143 )

☆……三十歳になるお園は、根津の門前町の裏で〔三坪〕という居酒屋を、三年前から、独りでいとなんでいる……しかも男知らずの独り暮らしで……
お園は、色白の大女で、左の頬の上に、少し雀斑の粒が散っている。
その躰を地味な着物に包み、盲縞の筒袖の半天を羽織り、紺の前かけに高下駄を履き、髪は無造作に自分の手で後ろへ巻き束ねたのみで、白粉も紅もつけぬ。色気も何もあったものではない。
(文庫巻23巻[隠し子]旧版・新装ともp.p 18〜21)

そこで「小股が切れ上がった……」とは何かを、色々のところから探ってみたので、私見を交えずそのまま列挙します。

(1)足が長くすらりとして、たった姿がきりりと引き締まった女性を形容する言葉。「小股」の「こ」は単なる接頭語で、小股という部位が特別にあるわけではない。

(2)すらりとして小粋(こいき)な女性の容姿を「小股(こまた)の切れ上がったいい女」と表現する。例えば、菱川師宣の浮世絵「見返り美人図」のような。

(3)鳥居清長の浮世絵美人をして「小股の切れ上がった……」というのだという。

(4)相撲の技に、小股掬いというのがあるので、膝関節の上あたりかも知れないとか、襟足といって、女性の白いうなじが色香を放つので、首筋を足に見立てているのかも知れないとか、足袋の親指と、他の四指との間を小股というので、そのあたりを指すのではないかと。

(5)後ろから見たときに足首のところの骨が(踵のすこし上)Vの字にキュキュッなっている様のこと。

(6)「小」を接頭語とする説では「裾さばきの美しい、すらりとした体つきの小粋な女性」となります。

(7)「小股」とは股の付け根の左右を上に走る二本の鼠蹊部の線としますと、「女陰、上付きでまぐわいの具合がとてもとてもよろしい女性」

(8)太宰治、織田作之助、坂口安吾の対談から引用[織田作之助]僕は、背の低い女には小股というものはない、背の高い女には小股というものを股にもっていると思うのだ。
[坂口安吾]しかし小股というものは、どこにあるのだ。
[太宰治]アキレス腱だ。
[坂口安吾]どうも文士が小股を知らんというのはちょっと恥ずかしいな。われわれ三人が揃っておいて……。
ということで、大作家たちにも「小股」の正体は謎だったらしい。

(9)「小股」という器官があるのではなく、「ちょっと股が切れ上がっている」という意味だと考えるのが妥当だろう。では「股が切れ上がる」とはいったいどういう状態を意味するのか。
なんでもこの言葉、もともとは男性の形容に使われていて、「すまた切れあがりて大男」という言葉が、西鶴の「本朝二十不孝」という本に見えるそうだ。股とは、ももそのものではなく、ももとももとの間の空間を意味する。つまり「すまたが切れあがる」とは「足が長い」という意味。
これがのちに女の形容に使われるようなり、「小股が切れ上がる」という形容が生まれたらしい。
ということで、「小股の切れ上がった女」とは、足が長くて尻の位置が高くすらりとした女性をいうのだとか。(『すらんぐ 卑語』)つまり、「ちょっと股の切れ上がった美人」と解釈するのが正しいようです。
要するに、下半身がしまっていて、お尻の上がったスタイルのいい女性を指しているってことですね。

(10)婦人のスラリとしていて粋なからだつきをいう(三省堂広辞林)(広辞苑)

(11)すらりとして小粋な女(集英社 広辞典)

(12)和服を着た女性が、すらりと粋な様子(小学館 国語辞典)

(13)女性の足がすらりと長く、粋な姿(小学館 大辞泉)

(14)きりりとして小粋な女性の形容(三省堂 大辞林)

(15)女の股が長く、すらりとして、いきなさまの形容「十八、九の女の裸参り、身体の白きこと雪の如く、小股の切れ上がったる」(咄・寿々波羅井)・・・(岩波 古語辞典)

(16)「芸者が歩くときには内輪に足を踏み出し、大股にならぬように歩く。芸者として、修行が積んでくると、女らしく垢抜けしたきりりとした感じに歩けるようになる。それを小股が切れ上がる、というわけだ。つまり、切れ上がるとは、卒業すると言うような意味だな」(吉行淳之介「技巧的生活」)

(17)小股とは股の付け根の切れ目のことをいうのだそうだ。あそこのところの略図を「Y」とすると「V」の部分が深く切れていて、しかも、斜め上方に長く切れ込んでいる女性のこと。
 簡単に言えば土手が高いのであります。あの丘がこんもりと盛り上がっているわけであります。(井上ひさし「江戸紫絵巻源氏」)

(18)女陰の陰裂の長さ(折口信夫)

(19)小股の「小」は「股」を飛び越えて「切れ上がった」に係っているのです。
 つまり「股がちょっと切れ上がった」を表しています。結論からいいますと、「足の長くすらりとした」「腰の位置が高い女性」という意味です。   (評論家 奥秋義信)

(20)アキレス腱がくっと締まった女性がサクサクと歩いているといかにもいい女って感じです。

(21)「小股」とは足袋を履いた時の親指と他の指との間を指す。あるいは膝から下の脚の部位を指す。(快感が高まると、女性の身体が反り返ったり、下半身全体、脚の指先まで力が入ることと関係がある?)(BODY DESIGN)

(22)膝から腿のあたりが切れ上がっていて、ちらりちらりとすそが開いてたいへん色っぽいわけです。そこへ風でも吹こうものなら、「小股」があらわになってしまいます。(杉浦日向子 ぶらり江戸学)

(23)近世庶民文化研究会刊行の「近世庶民文化」77号〜あたりに小股論議が載っているそうです。(残念ながら小生未だ読んでいません)
【このことわざの成り立ちが決して曖昧なものである筈がなく、拠ってきたる根拠があると思うのですが、どなたかご存知の方は伝聞でも良いですからお教えください】


管理者:西尾からのレス

ひゃーあ、まさに、KOMATA学ですなあ。
ただ、おまさの父親・忠助の〔鶴(たずがね)〕という通り名は、その高い痩身の姿形によるとかんがえると、むすめのおまさもすらりと高い八頭身だったのではないでしょうか。



2003年1月4日(土) 16:50

わいわい おまさコーナーも……

発信:小股の切れあがった江戸前のおまささん

わたし、小股も切れあがっている(はず)の、おまさです。
以前、朝日カルチャーセンター(新宿)主催、月1で、日曜日にやっていた《鬼平史跡めぐり》にかかさず2年間、たのしく参加していました。
そこで鬼平好きのメンバーたちと知り合い「密偵たちの宴」と称し、いまでも何かあると宴を催しています。
そこでの私の通り名は〔おまさ〕。もちろん〔粂八〕も〔彦十〕も、密偵ではないけれど〔久栄〕もいます。
職業も年齢も性別も越えた、でも、鬼平が共通点の、鬼平めぐりが無かったら絶対に知り合えなかった大切な仲間たちです。
ところで、この掲示板が新設され、五郎蔵、伊三次、粂八の「わいわいコーナー」まで設けられているのに、肝心の「おまさのコーナー」がまだないのは、自称おまさのわたしにとって悲しいかぎりです。ぜひ、「おまさコーナー」もつくってください。
で、質問なのですが、〔大滝〕の五郎蔵、〔小房〕の粂八、のように、密偵おまさにも〔……〕のおまさ、のような通り名はありますか?


管理者:西尾からのレス

たしかに、〔猿塚〕のお千代、〔掻掘〕のおけい、〔鯉肝〕のお里、〔珊瑚玉〕のお百、〔網虫〕のお吉……と、女賊でも通り名をもったのがいます。
でも、〔……〕のおまさ、ねえ。聞いたことはありませんが、生まれた土地からいえば、〔四ッ目〕のおまさ、かも。ただ、これはいただけません、というのは、鬼平のころ、両国橋西詰に〔四ッ目屋〕という性具・強精剤を商う店があったのです。
それに、女賊の通り名は、生誕地ではなく、その女性の性格からきているようですし。
おまさは、おまさと素のままのほうが似つかわしいのではないでしょうか?
「わいわい おまさ」コーナーは早速につくりましょう。
ついでだから、おまさの年譜も掲げておきます。

 おまさの年譜←こちらをクリック





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