管理者:西尾からのレス |
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たしかに、『蝶の戦記』(文春文庫)下巻には、「法楽寺」って地名が出てきますし、作品は『鬼平犯科帳』の連載に先立つ前年、すなわち1967年(昭和42)から信濃毎日新聞ほかに約1年間にわたって連載されたものですから、『鬼平犯科帳』への波及もあったといえましょう。お尋ねの北近江の「法楽寺」は、1888年(明治21)に参謀本部陸地測量部のつくった地図でみると、浅井長政の居城の小谷山から14キロばかり東南のところにあった集落です。『蝶の戦記』の執筆のために姉川周辺……春照(しゅんしょう)や野村、三田や千草などを現地取材した池波さんの記憶にとどまった地名でもあったのかも。が、〔法楽寺〕の直右衛門の「法楽寺」は、栃木県足利市の本城山の東南麓にある寺からとっているようにおもいます。根拠は、文庫巻4[おみね徳次郎]に登場する直右衛門腹心の〔名草〕の嘉平の「名草」という町がやはり足利市にあるからです。これはかつての「名草村」で「法楽寺」に近いところてはないかとおもうのです。まあ、このあたりは、足利市にお住まいの鬼平ファンのご教示を得たいところです。

参謀本部陸地測量部の作製の地図(1888)による北近江の「法楽寺」「小谷城」「春照」など。

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参謀本部陸地測量部の作製の地図(1887)による足利市近辺の「本城(法楽寺)」と「名越」

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