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2003年2月2日(日) 14:56 |
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「初鹿野」について
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発信:山梨県東山梨郡大和村役場 総務課
佐藤光正さん |
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「初鹿野村」などが合併、大和村が誕生した経緯を『村史』から引用します。
「大和村は、昭和16(1941)年2月に、近隣の5カ村、すなわち木賊(とくさ)村、田野村、日影村、初鹿野村、鶴瀬村が合併してできた行政村である。(略)役場を初鹿野村に置いた。
その後昭和29年(1954)の町村合併促進法に基づいて隣接の勝沼町との合併の運動もあったが、産業経済や地理的立地条件も異にする点が多く併合するところまではいかなかった。しかし、勝沼町に隣接していた深沢地区は、このおり勝沼に合併し、大和町から分離したのである」
昭和10年(1935)の「初鹿野村」の全戸 228が本農業および自作農家で、うち半数が養蚕をしていのしたから、江戸時代もそんなところであったろうと推察できます。
村全体の人口は、平成12年(2000)に1,541人、少子化や若者の流出でご多分にもれず老齢化がすすんでいます。
『甲斐国志』山川部は、初鹿野山を「マタ初鹿根ニ作ル、山中ニ木賊(とくさ)多シ、故ニ古名ヲ木賊山ト云フ、此ノ山最モ高クシテ……」と記しています。
長谷川平蔵のころに町奉行をしていたという初鹿野河内守信興については、村誌などを調べた範囲では記載がなく、また初鹿野家が村を領していたという記録はありません。
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