〔瀬田〕の虎蔵について



2004年07月05日(月)  18:14

福島県 耶麻郡 西会津町 牛尾

発信:居眠り隠居さん

西会津町は福島県の最西端に位置し、新潟県に隣接する山深い県境の町です。
太平洋いわき市と日本海新潟市を結ぶ国道49号線が町の真中を走っており、この49号線から南に4,5キロ入った山岳地帯が旧牛尾村、現在も牛尾の地名が残っています。

昔から世帯数は15,6程で、これは今も変わっていません。土地の方に聞いても特記する程の事ナシ、というごくありふれた山村地区で、『西会津町史』にも2行ほどの記載があるだけです。

こんなノンビリした豪雪地帯の寒村から、同時期に3人もの頭領分の盗人が誕生したとは信じがたいことですが、あるいは当時、あまりの貧しさからつい悪の道にはまり込んでしまったのでしょうか。
3人の盗人とは、〔牛尾〕の太兵衛([9-3 泥亀])、〔牛尾〕の又平・弟の〔瀬田〕の虎蔵([20-1 おしま金三郎])のことですが、この3人、本当に牛尾村に関係があるのでしょうか。西尾先生の解説を期待しています。

牛尾村
端村 雲在家(くもざいけ)長谷川東岸の西方街道筋にあたる。
雲在家にある気付清水(きつけしみず)は、源義家がここに来て「渇きを覚えた時」にわかに俄に湧き出したと伝えられる(『新編会津』)。寛文5:家数17軒・窯24・男53人・女 496人・馬12匹。石高99石6斗6升6合。
明治3: 207石3斗3升。
『西会津町史第6巻(下)旧町村沿革』



管理者:西尾からのレス

ご隠居、お久しぶりです。体調もおよろしいようですね。ところで、西会津町の「牛尾」の情報、ありがとうございます。

>この3人、本当に牛尾村に関係があるのでしょうか。

とのお問いかけですが、[20-1 おしま金三郎]のほうの〔牛尾〕の又平・弟の〔瀬田〕の虎蔵は違うような気がします。というのは、京都府山科区にも「牛尾」があり、ここは大津の「瀬田」と隣り合っています。
また、〔牛尾〕一味の中で、おしまのほかにもう一人逃げおうせたのが〔高山〕の治兵衛ですが、この治兵衛、上方に近い飛騨の「高山」の出身とも考えられますし、ね。

[9-3 泥亀]の〔牛尾〕の太兵衛は、駿河・遠州から伊勢にへかけて盗めをしていたといい、ひとり働きの上州・沼田出身〔関沢〕の乙吉も一味にいたこともあるようで、ご隠居のご期待にもかかわらず、静岡県の大井川ぞいの金谷町「牛尾」ということもありえます。

しかし、家数17軒という貧しい西会津の「牛尾」も捨てがたい気がします。福島市内にも「高山」という町名がありましたね……。

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