〔海老坂〕の与兵衛について




2003年03月28日(金) 13:25

〔小房〕の粂八は〔海老坂〕のお頭の配下にも……


発信:江戸・柳原岩井町の裏店住まい おこんさん


しばらくご無沙汰しているうちに、学のないあたしなんか、ちょっと近寄りがたいほどの高尚な内容のやりとりになっているんですね。それじゃ、あたしも負けてないで……と。
文庫巻5[おしゃべり源八]を読みかえしていたら、なんと、あたしのいい人……〔小房〕の粂八つぁんは、2年ほど〔海老坂〕の与兵衛お頭の下でお盗めをしていたことがあるって書かれているではありませんか。このHPの粂八つぁんの年譜には、そのことは記されてませんね。


管理者:西尾からのレス

おそういえば、おこん様、お久しぶりでした。それにしても、ご教示、ありがとうございます。たしかに、

 「伝五郎のいうことに、うそはございますまい」と、これは、むかし伝五郎と共に盗賊・海老坂の与兵衛配下として二年ほどはたらいたことのある小房の粂八のことばである。
([5-4 おしゃべり源八]p145 新装版p153 )

とありますね。年譜のほうはさっそくに補追します。おこん様のように、管理者側の手落ちを補っていただけると、HPのコンテンツがより充実し、全国の鬼平ファンの教典となっていきますです。



2003年1月23日(木) 15:38

[1―4 浅草・御厩河岸]について

発信:朝日カルチャーセンター(新宿)〔鬼平〕クラス 河内三郎さん

昨年10月に報告するようにいわれ、準備していて、発表の機会がなかったレポートです。

海老坂村(現:高岡市 東、西 海老坂)富山平野、庄内の西側で、伏木港と守山町の中間の丘陵部、高岡市では西北部、小矢部川左岸より二上丘陵地帯にかけてひろがる地域です。
北にあたる氷見方面へ向かう海老坂峠は難所として知られています。
海老坂村は、近世初頭、東海老坂村と西海老坂村に分村、明治22年(1889)に射水郡守山村、須田村、五十里村、東海老坂村、西海老坂村が合併して守山村となり、昭和17年(1942)年に高岡市へ編入。
土地の大半を山林が占め、田畑は全体の3割程度。農林業が主体で、明治初頭には養蚕業が盛んになりました。
地勢としては、関西圏、京・大坂の文化圏です。
〔海老坂〕の与兵衛
・盗賊の首領で50歳前後。文中に「越中の生まれ」とあり、〔海老坂〕の通り名から、射水郡海老坂村の出身とかんがえられます。
・盗賊の家系で、3代目といいますから、盗賊界の名門の出ですね。
・大盗賊の理想をつらぬき通した人物で、真の盗賊の3ヵ条を金科玉条として守りました。
・部下思いで、計画はまことに綿密で、実行者(配下)もその妙味にほれこむほどでした。
・度量は大きく金払いがよいので、配下に慕われました。
・一度引退して足を洗ったにもかかわらず、余生を送るための金のため、改めての計画で失敗します。
私の評価
・しょせん、現場の職長クラスかな、と。
・配下を信頼するあまり、部下も自分を信頼としているのはどんなものでしょう?
・過去の実績に自分自身が酔い、老齢になっていることを忘れたようですね。
・過去のお勤めの中心は関西だったはずで、関東(江戸)とは縁が少なく、情報も多くはなかった点についての評価はどんなものでしょう?


管理者:西尾からのレス

ほう、海老坂は関西の文化圏に入りますか。だとすると、〔海老坂〕一門のお勤め範囲が上方中心だったのもうなずけます。
ただ、与兵衛は3代目といいますから、〔海老坂〕……という通り名は親ゆずりのもの。先々代の出身は越中・射水郡海老坂村でも、上方に本宅か妾宅をかまえてて、与兵衛が生まれたのはそこだった、ともかんがえられます。
いや、本妻を海老坂村へ置いていたともいえますが、それだと、狭い村中のこと、潤沢な収入源が村民のうわさになり、釈明に困ったでことしょうね。

参考までに、明治22年(1887)に参謀本部陸地測量部が発行した地図を合成し、掲げました。


参謀本部陸地測量部発行の地図より「東海老坂」「西海老坂

拡大図をご覧になりたい方は上のボタンをクリックしてください。



2002年11月1日(金) 15:48

海老坂の情報

発信:堀 眞治郎 さん

吉田東伍博士の大日本地名辞書では、越中・守山村の海老坂と、周防・熊野郡の呼坂(海老坂)がありますが、西尾さんのご推察のように、〔海老坂〕の与兵衛の海老坂は、富山県高岡市の旧守山村の地名だとおもいます。現在、高岡市に残っています。(ぽすたるガイドの高岡市の欄に、東海老坂、西海老坂、守山があります)。


管理者:西尾からのレス

堀さん。情報、ありがとうございます。そう、ぽすたるガイドは盗賊の出身地確認に、とても有用ですね(ブック形式でなく、CDのがあると検索がもっとスピードアップできそう)。高岡市役所観光課から送られてきた観光パンフ「高岡文化の森回廊」のマップにも、氷見(ひみ)市への国道160号線上に、たしか〔西海老坂〕の地名が記されています。

**高岡近辺の地図
「高岡文化の森回廊」に記載されている国道160号線上の西海老坂

拡大図をご覧になりたい方は上のボタンをクリックしてください。

[1―4 浅草・御厩河岸]で、豆岩が会ったお頭の〔海老坂〕の与兵衛は、越中・守山村海老坂の生まれとしてよさそうですね。
この上は、高岡在住のファンの方から、海老坂の写真なり古い資料なりを寄せていただきたいものです。また、〔海老坂〕の与兵衛の配下に、越中出身者がいるかどうかもたしかめたいですね。さらには、池波さんのエッセイや短編に、越中・高岡がどう書かれているか、などの報告もほしいとおもいます。





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