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2003年1月23日(木) 15:38 |
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[1―4 浅草・御厩河岸]について |
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発信:朝日カルチャーセンター(新宿)〔鬼平〕クラス 河内三郎さん |
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昨年10月に報告するようにいわれ、準備していて、発表の機会がなかったレポートです。
海老坂村(現:高岡市 東、西 海老坂)富山平野、庄内の西側で、伏木港と守山町の中間の丘陵部、高岡市では西北部、小矢部川左岸より二上丘陵地帯にかけてひろがる地域です。
北にあたる氷見方面へ向かう海老坂峠は難所として知られています。
海老坂村は、近世初頭、東海老坂村と西海老坂村に分村、明治22年(1889)に射水郡守山村、須田村、五十里村、東海老坂村、西海老坂村が合併して守山村となり、昭和17年(1942)年に高岡市へ編入。
土地の大半を山林が占め、田畑は全体の3割程度。農林業が主体で、明治初頭には養蚕業が盛んになりました。
地勢としては、関西圏、京・大坂の文化圏です。
〔海老坂〕の与兵衛
・盗賊の首領で50歳前後。文中に「越中の生まれ」とあり、〔海老坂〕の通り名から、射水郡海老坂村の出身とかんがえられます。
・盗賊の家系で、3代目といいますから、盗賊界の名門の出ですね。
・大盗賊の理想をつらぬき通した人物で、真の盗賊の3ヵ条を金科玉条として守りました。
・部下思いで、計画はまことに綿密で、実行者(配下)もその妙味にほれこむほどでした。
・度量は大きく金払いがよいので、配下に慕われました。
・一度引退して足を洗ったにもかかわらず、余生を送るための金のため、改めての計画で失敗します。
私の評価
・しょせん、現場の職長クラスかな、と。
・配下を信頼するあまり、部下も自分を信頼としているのはどんなものでしょう?
・過去の実績に自分自身が酔い、老齢になっていることを忘れたようですね。
・過去のお勤めの中心は関西だったはずで、関東(江戸)とは縁が少なく、情報も多くはなかった点についての評価はどんなものでしょう?
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