SBS学苑パルシェ静岡 〔鬼平〕クラス 中林正隆


和暦
西暦 出来事
明徳 1 1390 長重が今川義忠に仕える
永享 2 1430 政宣が加納家に生まれる(坂本)
文明 3  1471 政宣が賢仲和尚と計り林叟院創建
〃  8  1476 義忠、塩買坂で戦死
長重も従軍して戦死
政宣が竜王丸(今川氏親)母子を匿う
長享 1 1487 今川氏親(竜王丸)が駿河国主となる
明応 5  1496 林叟院開山性岱和尚死去
〃  6 1497 林叟院(小川会下の島より)坂下へ移る
〃  7 1498 駿河地方大津波 林叟院の旧地 海没
〃  9 1500 林叟院の講堂が坂本に落成
林叟院 2世 賢仲和尚死去
永正13 1516 政宣死去(87歳) 林叟院に葬る
〃 14  1517 元長が芳釈和尚と計り信香院を創建
大永 6 1526 元長が宗長を自邸に招き千句の会を開く
今川氏親死去( 6月23日)
小川城が落城 元長は大和へ逃れる
元長が熊野神社を勧請して小川へ戻る
天文 5 1536 正長誕生
永禄 3 1560 今川義元が桶挟間で戦死
元長(花沢城主)桶挟間で戦死
徳一色城主(田中城)由井美濃守戦死
正長、徳一色城の城主となる(25歳)
〃  7 1564 嫡・正成誕生
〃  9 1566 信香院開山の芳釈和尚死去
〃  10 1567 次男・宣次誕生(平蔵家の祖)
〃  11 1568 武田信玄、駿河国を制圧
〃  12 1569 三男・正吉誕生
正長、徳一色城を退き、徳川家康幕下へ
元亀1 1570 正長、姉川の戦いに従軍
〃  3 1572 正長、三方ヶ原で戦死
天正 4 1576 嫡・正成(13歳)、家康へ小姓出仕
〃  7 1579 三男・正吉(11歳)、秀忠へ小姓出仕
〃  10 1582 次男・宣次(16歳)、出仕
慶安 1 1648 信香院が朱印 4石 5斗の判正を受けた
享和 2 1802 正吉子孫・長谷川正満が林叟院と信香院の先祖の墓を修復(現存)

西尾補記:
中林さんが[井戸堀人のリポート・林叟院の探索]に記されている、享和 2年(1802)に林叟院と信香院の先祖の墓を修復・供養した長谷川正満は、11歳で家光の小姓に召された正吉系統の 8代目です。
初代の正吉は家光好みの少年だったのでしょうか、いろいろ加俸されて 4,070石に達しています。
本家の嫡男・正成が 1,750石、次兄の宣次(平蔵の祖)が 400石なのに、です。
屋敷は牛込の加賀屋敷のあたりに 1,000坪程度でしたが、千駄ヶ谷に 85,000余坪を別荘地として賜っています。


牛込の拝領屋敷(近江屋板)
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千駄ヶ谷の別荘地(近江屋板には記載がなく尾張屋板
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なお、正満の養子に入ったのが、平蔵宣以(鬼平)の次男の正以(まさため)です。

 
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