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2004年07月12日(月)

[『御定書(おさだめがき)百箇条』を読む]

[『御定書百箇条』を読む]の著者・福永英男さんは滋賀県の出身。警察庁へ入り、岡山、静岡、神奈川各県警本部長を歴任され、退官した方です。
かつて、縁あって私家版のご著書をいただいていました。


福永英男さん著[『御定書百箇条』を読む](2002.12.16)

同書の「はしがき」に、

一流作家のまちがいの一例をあげると、池波正太郎氏に[兎と熊]という小品があるが、この中で「三年の江戸追放になった」という場面が出てくる。追放刑は無期限で死ぬまで続いたのだ。

と、江戸時代をあつかう作家が冒す誤解を糺(ただ)す例として池波作品が引かれています。
福永さんが底本とした『徳川禁令考 後集第一〜四』(創文社)を、45年前の刊行当時にとぼしい小遣いをはたいて購入していたので、福永現代語訳を参考にしながら、『鬼平犯科帳』に関係のある条々を順次ご紹介。


『徳川禁令考 後集第一〜四』(創文社 1959.12.15〜)

第17条 盗賊火附詮議致し方の事
盗賊火附詮議之儀、盗賊改火附改江不相渡、其手切にて可致詮議事。
(町奉行所側が捕らえた盗賊や火付の犯人は、火盗改メに渡さないで、奉行所側で詮議すること)。


これは町奉行への達しで、これまで町奉行所側が捕らえた盗賊・火付犯人を火盗改メ方へ渡されていたことをたしなめたものです。享保3年(1718)の日付があります。

第56条 盗人御仕置之事 ( )内は訳文
一 都而盗物之品ハ、被盗候もの江相返可申候。金子遣棄候ハバ、可為損失、勿論盗物取戻候共、無差引、左之通御仕置可申付事。
(すべての盗物の品は、盗まれた者へ返すべきである。金子を遣(や)ったり捨てたりした場合は損失あつかいにする。もちろん、盗物を取り戻しても、差し引きすることなく左のとおり申しつける)


 人を殺、盗いたし候もの。
(人を殺して盗みをした者、引き廻しのうえ、獄門)。

一 盗ニ入、刃物ニ而人を疵付候もの。
(盗みに入り刃物で侵入先の人に疵(きず)を負わした者は、盗物を持主へ取り返したとしても、引き廻した上、獄門)。
享保7年(1722)の日付があります。

(一 ただし、忍び入ったのではなくても、盗もうと考えて人を疵つけた者、死罪)。

(一 盗みに入り、刃物を使わないでほかの品で疵つけた者も、右と同断、死罪)。

(一 盗みをとしようと徒党を組み、人家へ押し込んだ者で、頭取は極門、同類は死罪)。

(一 家内に忍び入り、あるいは土蔵を破った者も、金高・雑物の多少にかかわらず死罪。
ただし、昼夜関係なく、戸が明いているところや無人の家内で、手近にあったさほど値打ちのないものを盗んだ場合は、入れ墨の上で重敲き)。

(一 盗人の手引きをした者は、死罪)。

(一 身体障害者の所有物を盗んだ者は、死罪)。

(一 追剥ぎは、獄門)。

(一 追い落としは、死罪)注:「追い落とし」は恐喝で被害者を脅して所持品を奪い取る。

(一 手元にある品を、出来心で盗んだ場合。
金子は10両以上、物品は代金に見積もって10両くらいより上は、死罪。
金子は10両以下、物品は代金に見積もって10両くらいより下は、入れ墨の上敲き)。



2004年07月27日(火)

第56条 盗人御仕置之事 続き ( )内は訳文

(一 盗人と知っていながら宿泊させたり、盗品を売り払ったり、または質に置いたり、分け前を取ったりした者は、死罪)

(一 盗人と知っていながら宿泊させたり、数日間も逗留させた者は、重追放。
ただし、盗人が磔(はりつけ)になった場合は、宿を貸した者は、死罪)


〔寛政2年…1790…極〕
(一 家蔵へ忍び入った盗人に頼まれて、盗品を持ち運んだり、分け前を取った者は、敲(たたき)の上、軽い追放
ただし、分け前を取らなかった場合は、敲の上、所払い)

  注:重敲は100回たたき 軽敲は50回たたき。

〔従前々の例〕
(一 御林…官有林…の竹木を申し合わせて盗伐した者、
 頭取  重追放  準頭取 中追放  同類  過料)
  
注:重追放は、武蔵、相模、上野、下野、安房、上総、下総、常陸、山城、摂津、和泉、大和、肥前、東海道筋、木曽路筋、甲斐、駿河への立ち入り禁止。
軽追放は、居住地および犯罪地と、江戸10里四方、京都、大坂、東海道筋、日光、日光道中への立ち入り禁止。(小学館『日本国語大辞典』)


〔享保5年…1720…極〕
(一 軽い盗みをした者は、敲(たたき))
  
注:福永英男さん著[『御定書百箇条』を読む]は、軽い盗みとは、1両以下の金品を、ついフラフラと盗んだような場合であろうと。

〔従前々の例〕
(一 一旦、敲刑を受けたのに、さらに軽い盗みをした者は、入れ墨)

(一 路上に置かれていた物を盗むんだ者は、敲)

(一 橋の高欄や武家屋敷の鉄物をはずした者は、重敲)

(一 湯屋(銭湯)で、他の者の衣類に着替えた者は、敲)

(一 軽い盗みをした者を宿泊させた者は、所払い)


〔寛保元年…1741…極〕
(一 盗品と知りながら、世話し、分け前を取らなかった者は、敲)

(一 盗品と知りながら、預かった者は、敲)

(一 陰物(かげもの…不正に入手したもの)買いは、入れ墨の上、敲
ただし、従来からこの事をやってきた者は、死罪)


〔従前々の例〕
(一 陰物(かげもの)と知りながら、又買いした者は、入れ墨の上、敲)

〔同〕
(一 盗品とは知らなくても、出所を糺(ただ)さずに質に置いた者は、過料)
〔追加・延享4年…1747…極〕
(ただし、武家の家来の場合は、江戸払い)
〔追加・寛保2年…1748…極〕
(一 身体障害者を殺して所持品を盗んだ者は、引き廻しの上、獄門)
〔追加・同〕
(一 家蔵へ忍び入り、旧悪(時効に準じた扱い)となっても、五度以上もやったも者は、物を取らなくても、引き廻しの上、死罪)
  注:「旧悪」を、[『御定書百箇条』を読む]は、「犯行後一二か月を経過すると、一種の公訴時効が完成し、訴追されないこととされていた」と解説。


〔追加・享保4年…1719…極〕
(盗人を召し取り、雑物を取り返した上で、内証で逃がしてやった者は、当人、名主叱り。
ただし、死罪になるべき盗人を内証で逃がしてやった者は、名主、当人、軽過料)

〔追加・寛保元年…1747…極〕
(一 盗人を召し捕り、吟味のうえ他所で盗んだ雑物や金子などを所持していた場合は、遠国であっても、その所の奉行・御代官あるいは領主へ申しわたし、被害者当人を呼び出し、その品を渡してやること。
ただし、少額の品で、被害者が受け取りに来るのが遠国などで難儀なので捨ててほしいと申した場合は、そう処置すること。もし、また、右の雑物を確保した土地に、親類か由緒のある者がいて、その者が名代で請い取りたいと願い出たら、願いのとおりにしてよろしい)


〔寛保元年…1747…追加〕
(一 盗品と知りながら、時価よりも安く買い取った者は、所払い)

[次回は、盗品の質入れや買い取りの刑罰]



2004年08月12日(木)

第57条 盗物質に取り、または買い取り候者の御仕置の事 ( )内は訳文
〔享保6年 1721・元文5年 1740極〕
(一 盗品と知らないで、保証人をとった上で、通例のごとくに質に取っても、吟味の結果、盗品であったことを知らなかったことが判明したら、保証人に元金を弁償させ、質物は取り返して盗まれた者へ過渡してやること。
ただし、保証人もお仕置になって弁償できないときは、質屋側の損金として無償で被害者へ返還すること。あるいは盗品かどうかをよく調べないで質に取っていた場合は、質屋の損金とし、その上、質屋が罰を享ける。)



〔享保6年 1721・元文5年 1740極〕
(一 盗品と知らないで、反物などを買い取った者の場合は、その品物を買い主から取り返し、盗まれた当事者へ返還し、代金は買い主側に手ぬかりがあったのだから、買い主の損金とすること。保証人を立てて買い取っている場合は、保証人に買い主側へ代金を渡させること。
ただし、盗まれた物品の売り払い先がはっきりしないくても、その代金を盗人が所持していたら、取り上げて、被害者へ渡してやること。盗品を買い主から取り上げた上、代金を盗人が所持していたら、その金銭は公儀へ取り上げてしまうこと)


〔同〕
(一 盗品と知らないで買い取り、売り払ったときは、売り先から買い戻させて被害者へ返還してやり、その損金は、盗人から最初に買い取った者が負担すること)

〔寛保2年 1742極〕
(一 紛失物の詳細を質屋や古物商へ町触れしたのに、隠しいてた者は、家財没収の上、江戸追放)

〔従前々の例〕
一 同業者組合が定めている商いの品を、組合に入っていない者が売買したときは、その商いの品を没収した上で罰金)

〔同〕
(一 一人の者が二つの役について判を捺したり(一人両判)、保証人のいない質物を取ったら、その品を没収の上、罰金)

〔寛保2年 1742極〕
(ただし、町触れのあったとときに訴え出た場合は、その品は没収するが、罰は受ない)
               [次回は悪党訴人]

ちなみに、「御定書」の条文をよく引用しているのは佐藤雅美さんの『物書同心居眠り紋蔵』シリーズです。


    


  
佐藤雅美さんの『物書同心居眠り紋蔵』シリーズ(講談社文庫)



2004年09月01日(水)

 第58条 悪党の者、訴人之事( )内は訳文
〔元文3年…1738極〕
(一 悪事を行った者を召し捕って差し出すか、または訴え出たら、訴人した者にも悪事があると悪党側が言いつのっても、みだりに糾明しないこと。もし、訴人した者が訴人された者より重い悪事をしている確かな証拠が揃っていた場合は、双方を詮議すること。
 ただし、すべて罪科の者を訴え出たら、同類といえども、その科(とが)を免ぜられることになっていることに決まっているのだから、その趣旨を体して詮議はほどほどにしておくこと)


 福永さんは「詮議はほどほど(差略)に」のくだりを指して、公儀の側のものとしてはきわめて珍しい文言であるが、密告しやい状況をつくっているのだと。

 第61条 人を誘拐(かどわか)した者之御仕置の事
〔従前々の例〕
(一 人を誘拐(かどわか)した者 死罪)

〔寛保2年…1742極〕
(一 誘拐(かどわか)した者し馴れ合い、売りやり、分け前を取った者は、重追放)


 条文の類例として『徳川禁令考』に、寛政5年(1793)、火盗改メの長谷川平蔵が評定所へ伺いをあげた事例が収録されています。
 麹町13丁目(現・四ッ谷3丁目)嘉兵衛店に住んで駕籠舁き渡世をしていた利助が、無宿人の常吉にそそのかされて、出奔した主人の娘を3日もかくまったのは、入墨して重敲きの上、家主へ引き渡しでよろしいか、と伺いました。
 これに対して評定所は、途中でおかしいと気づきながら3日もかくまったのは誘拐(かどわかし)に類するとして、遠島と裁決しています。



2004年09月16日(木)

第63条 火札張札捨文いたし候もの御仕置之事( )は訳文
    (火つけの張り札をしたり投げ込み文をした者の処罰)
(一 遺恨をもって放火するとの張り札をしたり文書を投げこんだ者は、
死罪)
(一 遺恨をもって人の悪事などについての嘘のことを張り札や文書をこんた者、死罪に相当するほどの内容と認められれば、中追放)

第70条 火付け御仕置之事
〔従前々の例
(一 放火した者は、火罪)

〔寛保2年…1742極〕
(一 人に頼まれて放火した者は、死罪)

〔従前々の例〕
(ただし、頼んだ者は、死罪)

〔享保8年…1723極〕
(一 物取りの目的で放火した者の、引き廻しの儀
  日本橋、
  両国橋、
  四谷御門外、
  赤坂御門外、
  昌平橋外、
 右の箇所を引き廻したとき、人数の多少によらず、罪状の捨て札を立てておくこと。もっとも放火した土地と居所も引き廻した上で火罪にすること)
 ただし、捨て札は30日間立てておくこと。

〔享保9年…1724極〕
(一 物取り目的でない放火は、捨て札を立てるにはおよばず、放火した土地と居所を引き廻した上で火罪にすること)

〔享保8年…1723極〕
(一 右の火罪の処刑者は、すべて晒すにはおよばないこと)

〔追加 享保7年…1722極〕
(一 放火犯を捕まえるとか訴人してきた者へのご褒美は、人数の多少にかかわらず、白銀30枚)

〔追加 延享2年…1745極〕
放火した者が年を越してあらわれたときは、死罪)

[『御定書百箇条』を読む]の著者・福永英男さんによると、ご褒美の「白銀30枚」はいまなら 100万以上の価値であろうと。



2004年09月30日(木)

第63条 人殺し並びに疵付けなど御仕置之事( )は訳文
〔従前々の例〕
(一 主殺し 二日晒し一日引き廻し、鋸挽きの上 磔)

〔同〕
(一 主人に手負わせた者 晒しの上 磔)

〔同〕
(一 同じく切りかかり打ちかかった者 死罪)
〔寛保元年…1741極〕

〔同〕
(一 以前の主人を殺した者 晒しの上 磔)

〔同〕
(一 同じく手負わせた者 引き廻しの上 磔)

〔同〕
(一 同じく切りかかり打ちかかった者 死罪)

〔寛保2年…1742極〕
(一 地主を殺した家守 引き廻しの上 獄門)

〔同〕
(一 同じく殺すつもりで手疵を負わせた家守 死罪)

〔同〕
(一 以前の地主を殺した家守 引き廻しの上 死罪)

〔同〕
(一 同じく殺すつもりで手疵を負わせた家守 遠島)

〔寛保元年…1741極〕
(一 主人の親類を殺した者 引き廻しの上 獄門)

〔従前々の例〕
(一 同じく手疵を負わせた者 引き廻しの上 死罪)

〔寛保元年…1741極〕
(一 同じく切りかかり、打ちかかった者 事前に準備をしていた場合は 死罪)
   ただし発作的の場合は遠島 状況によっては重追放)

〔従前々の例〕
(一 親殺し 引き廻しの上 磔)
(一 同じく手負わせた者並びに打擲した者 磔)

〔寛保元年…1741極〕
(一 同じく切りかかり打ちかかった者 死罪)

〔寛保2年…1742・延享元年…1744極〕
(一 舅、伯父、伯母、兄姉を殺した者 

〔従前々の例〕
(一 同じく手負わせた者 死罪)

〔寛保2年…1742極〕
(一 これといって悪いところのない実子、養子を殺したり、親が短慮にも一時の激情で殺した場合は 遠島)
   ただし親方の者が利得のために殺したら 死罪)

〔同〕
(一 弟妹、甥姪を殺した者は右に同じく 遠島)

〔従前々の例〕
(一 師匠を殺した者 磔)

〔同〕
(一 同じく手負わせた者 死罪)

〔寛保2年…1742極〕
(一 支配を受けた名主を殺した者 引き廻しの上 獄門)
   ただし 殺すつもりで手疵を負わせた者 死罪)

〔寛保2年…1742極〕
(一 食ベ物などに毒を入れれ、人を殺した者 獄門)
   ただし毒を入れても、死ななかった場合は 遠島)
〔従前々の例〕
(一 人を殺した者 下手人〔=死罪〕)

〔寛保2年…1742極〕
(一 人を殺しの手引きをした者 遠島)
   ただし殺した当人が逃亡しおうせた場合は 下手人〔=死罪〕)

〔元文5年…1740極〕
(一 指図して殺人させた者 下手人〔=死罪〕)
(一 指図されて殺人した者 遠島)

〔寛保2年…1742極〕
(一 自分の悪事が顕れるのを嫌って、その人を殺害するつもりで疵つけ、あるいは詮議した人に遺恨を抱いて手疵を負わせた者 死罪

〔追加・延享元年…1744極〕
   ただし、切り殺した場合は 獄門)

〔従前々の例〕
(一 大勢で人を打ち殺した時、最初に手を出した者  下手人〔=死罪〕)
(一 殺人の手伝いをした者 遠島

〔追加・寛保2年…1742極〕
   ただし事前に殺人の申し合わせもなく、同輩の者の闘争を見捨てがたく、助力した者 中追放)〔同〕
(一 人殺しのり手伝いはしなくても、荷担した者 中追放)

〔同〕
(一 相手から無法に仕掛けられ、仕方なく刃傷に及んで相手を殺してしまった者 遠島)

〔寛保元年…1741極〕
(一 辻斬りをした者 引き廻しの上 死罪)

〔同〕
(一 渡し舟が沈んで溺死者が出たら、その舟の水主は 遠島)

〔享保13年…1728極〕
(一 車を引っかけて人を殺めた時、その車を引いていた者 死罪

〔享保13年…1728・寛保3年…1743極〕
   ただし人に当てなかった方を引いていた者 遠島。車の荷主は重過料。車引きの家主は過料)

〔享保7年…1722極〕
(一 同じく怪我をされた者 遠島

〔寛保元年…1741極〕
   ただし人に当てなかった方を引いていた者 中追放。車の荷主は重過料。車引きの家主は過料)。〔寛保元年…1741極〕
(一 牛馬を引っかけて人を殺めた者 死罪)

〔同〕
(一 同じく怪我させた者 中追放)

〔同〕
(一 口論のうえで人に疵をつけ、片輪にした者 中追放
   ただし渡世がなりがたいほどの片輪にした者 遠島)

〔追加・延享3年…1747極〕
(一 人に疵をつけた者、治療代は疵の多少にかかわらず、町人・百姓は銀1枚)
 (注)福永英男さんの試算では、銀1枚は57,000円前後と。

〔従前々の例〕
(一 離別の妻を疵つけた者 入れ墨の上、遠国 非人手下)

〔追加寛保3年…1743極〕
(一 同宿体(修行中)の僧が人を殺し、あるいは疵つけた場合の量刑は俗人の場合と変わりなし。
   ただし、寺持ちは一等重く伺うように)
 (注)福永英男さんの解説では、僧侶や神官の入牢は揚り屋に収容されるなど優遇されているが、こ条文では、修業を終えた僧の殺傷の刑はかえって重くなっていると。

〔追加・従前々の例〕
(一 足軽相当の者であっても、軽い町人や百姓から法外な雑言などを浴びせられ、やもうえず切り殺した者は、吟味の結果、そのとおりにちがいなければ、無罪)
              
(次回は、拷問関連の条文)


2004年10月15日(金)

第83条 拷問申し付くべき品之事( )は訳文
〔享保7年…1722極〕
 一 人殺し
 一 火付
 一 盗賊

〔元文5年…1740極〕
 一 関所破り
 一 謀書謀判
(右の分、悪事を致した証拠がたしかにあるのに白状致さない者、共犯者が白状しているのに当人が白状致さない者の事)
(一 詮議しているうちに、ほかの悪事が判明して、その罪状で死罪となるべき者の事)
(一 右のほかにも拷問を申しつていい罪状があれば、評議のうえで申しつける事)

〔追加・寛保3年…1747・延享2年…1745極〕
(ただし、拷問口問いの節、立ち会い者の派遣し、吟味の様子、陳述をしっかりと見とどけさせる事)
拷問の種類について、著者の福永英男さんは、江戸町奉行与力であった佐久間長敬(1839〜1922)の『拷問実記』から、

・笞打ち

風俗画報』明治26年5月10日 第53号より
  後ろ手に高くしばるり、盛りあがった肩の肉を麻をなった笞で打つ。

石抱き

『風俗画報』明治26年5月10日 第53号より
 薪を数本置いた上へ座らせ、膝の上に石板を載せる。

海老責め
この拷問法は、17世紀後半に火盗改メを勤めた中山勘解由直守( 3,500石)の考案にに
ると伝えられている。
 『拷問実記』による海老責め(『図説江戸の司法警察事典』より転載)

・釣し責め

『風俗画報』明治26年5月10日 第53号より
  拷問最後の段階。足先を地面から10cmほど上げる。

をあげている。
笠間良彦さん『図説江戸の司法警察事典』(柏書房 1980.10.25)は、火盗改メの役宅では、右の四つのほかであっても「幕府はこれを黙認していた」と。

また、
『風俗画報』明治26年5月10日 第53号、蓬軒居士[徳川時代御仕置]によると、〔海老〕〔釣し責め〕の2種は、長谷川平蔵(銕三郎)が生まれる3年前の寛保3年(1743)に廃止された。
福永英男さんは著書『御定書百箇条』を読む』(自費出版)で、拷問のうち一番軽いとされていた笞打ちであっても、吟味与力2人、小人目付、徒目付、責役同心2人、牢医師、打ち役2人このほかに張番(牢の下役)数人が立ち会い、
「老中〇〇様かかりで拷問の許しが出ている。いまのうちに神妙に白状すれば苦痛をまぬがれるぞ」
と事前に説いたという。

町奉行所がかりの容疑者に対する前記2つの拷問は、小伝馬町の牢屋敷の詮索所で行われ、後の2つには同所拷問蔵があてられていた。
火盗改メが拷問を役宅敷地内で行ったか小伝馬町の牢屋敷でだったかの記録は未見。
また、小説では、鬼平がささら竹で打ったりしているが、 400石もの旗本が自ら拷問に手をくだすことに疑問を呈している読者がいることも添えておく。



2004年11月05日(金)

江戸時代のお仕置

つづけてきた徳川幕府の刑法典ともいえる『御定書(おさだめがき)』につづいて、火盗改メに関連のある江戸時代のお仕置を『風俗画報』から転載します。

・入墨(いれずみ)
「入墨者」の称もあるほど、前科を示した付加刑です。江戸では伝馬町牢屋敷で執行され、墨が乾くまで入牢を申しわたされました。
上段右から3番目は人足寄場のもの。ただし実施は寛政 5年11月 5日からなので、長谷川平蔵が寄場取締を退任し、寄場が犯罪予備軍ともいえる無宿者の隔離所から軽い犯罪者の幕府直属の収容所と化して以後のもの。




『風俗画報』(明治25年12月10日号 筆者・蓬軒)

・引廻し
死罪獄門磔(はりつけ)火罪の嚴刑に属する付加刑で、罪人が住まっていた町内およびその近傍の町々を引廻して見せしめにしました。
この刑を受けるのは、親殺し、主人殺し、地主・名主殺しのほか、火盗改メの管轄である人を殺して盗みをした者、5度以上盗みをした者、放火犯などでした。


『風俗画報』(明治26年06月10日号 筆者・蓬軒)



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