当ホームページ管理者 西尾忠久

『極上の旅』2003年10月号

 文庫本だけでも24巻合わせて 2,440万部以上も出ている『鬼平犯科帳』から、組織のリーダーとしての長谷川平蔵の統率力を学んでいる友人や、料理の描写につばきを呑みこむ読み手もいる。
 ぼくは、池波さんが日に一度は眺めていた『江戸名所図会』から採られた小説の舞台の絵を彩色し、物語に奥行きをつけて楽しんでいる。
 ついでにいうと『図会』には長谷川雪旦父子の絵が 670余景あり、鬼平がらみのはうち 197景。それらの絵を懐に、半日( 3時間ほど)ウォーキングで巡っている私家版コース「鬼平の舞台をたどる」をご披露しよう。
 第1回は、池上本門寺の石段で死闘が行われた文庫巻 9[本門寺暮雪]コース。一刀流の遣い手である鬼平が必死の剣さばき見せる3大名シーンの一つがだから。
 都営地下鉄「三田」駅かJR「田町」駅からスタートする。目ざすは「聖(ひじり)坂」――『図会』の「聖坂済海寺・功運寺」の検証。
 坂下から 150メートルのぼった右側、普連土学園の手前角の脇坂が汐見坂だが、いまは高い建物にさえぎられて江戸湾は見えない。江戸のほかの8つの汐(潮)見坂もすべて汐不見坂と化している。
 学園の敷地は、戦災で中野区上高田 4-14- 1へ移転した曹洞宗の名刹・功運寺があったところだ。空襲は多くの寺院を破壊した。『鬼平犯科帳』に寺号が出ている江戸と近郊の 208寺のうちでその場所に現存していないのが72寺もあり、移転先がつきとめられたのは20寺にすぎない。
 坂をのぼりきったあたりの左手が、幕末にフランス公使館だった済海寺(港区三田 4-16-23)。

 (
や……めずらしい男がいる)
  馬上から、その男をみとめた平蔵の口もとがゆるんだ。(略)
  右手の済海寺という寺院の門前に、こちらに背を向けている乞食坊主
 (こじきぼうず)の後姿を見ただけで、平蔵には、
 (あの男……)
  と、わかったのだ。

  p137 新装p138

「聖坂」の由来はあたりに聖(ひじり)、すなわち乞食同然の僧が多く住んでいたからという。聖坂の絵→乞食坊主→井関録之助、と連想、池波さんの頭に古い剣友がひらめいたのが見えるようだ。



田町駅から池上本門寺までのコース図
地図製作/アットミクスト


 古寺を見ながら行くと出る伊皿子坂を、かまわず突っ切り、高松宮邸(旧熊本藩中屋敷)を右に見て二本榎へ。東海大付属高校はかつての国昌寺(廃絶)跡で、寺前の細井邸に宿泊している鬼平を総門の下で〔凄い奴〕が一晩中見張った。
 家督前の銕三郎(のちの鬼平)をなにかと支援した先代・細井彦右衛門を池波さんは、師とあおいだ長谷川伸さんに重ねている。旧長谷川邸(港区白金台 2- 6- 3)は、作家集団の財団法人新鷹会の管理下にあり、明治学院大正門のはす向い。
 国昌寺の先の承教寺(港区高輪 2- 8- 2)もこの篇に登場する名刹だが、門前の狛犬や二本榎の説明銘板が興味を引く。

  
前方を行く〔凄い奴〕も、承教寺門前を左に折れた。
  p153 新装p160

 ここで〔凄い奴〕と別れ、承教寺の先の広い桜田通りを左折して五反田へ。
 地下鉄駅「高輪台」をすぎると左手の高いマンションの1階に雉子神社(品川区東五反田 1- 2-33)があり、その傍(そば)に住んでいたのが仕掛人・藤枝梅安と『剣客商売』の手裏剣お秀。だが先を急ぐ。地下鉄「西馬込」駅へ。 この好篇の圧巻は、小雪が舞うなか、池上本門寺の石段での鬼平と〔凄い奴〕の、小雪の中の対決シーンである。
『図会』の本門寺は 6ページもの大作(図版は部分)。

  
小高い丘のすべてが境内といってよく、六万七千六百 坪といわれ、
  法華宗(ほっけしゅう)本化一宗正統の霊場(れいじょう)だ。

  p159 新装p166

 石段は2箇所。が、決闘の舞台になったのは右手のほうである。なぜというに、平蔵と録之助はまず総門傍(わき)のわらぶき屋根の茶店〔弥惣(やそう)〕で一服がてらに(くず)餅を注文する。総門は右手の石段下に描かれており、餅はいまでも門前町の名物として残っている。
 鬼平は茶店の柴犬に煎餅を与えた、とも伏線が張られる。

  
平蔵と録之助は総門をくぐり、胸をつくように急な九十六段の石段を
  のぼりはじめた。
  柴犬が尾を振りながらついてくる。

  p161 新装p169

 たしかに石段は96段あるが、その数は『図会』には記されていない。池波さんはじっさいに勘定したのだ。ただ「急な九十六段」とあるように、のぼるのは若干、骨である。「西馬込」駅から裏道づたいに本堂へ至るコースをとったのは、石段の上へ出られるから。石段を下りながらならの段数の勘定のほうがうんとラクだし、五、六段目のところに立って、〔凄い奴〕と鬼平が斬りあったさまを反芻してみるのも苦にならない。

  
ふわりと人影がさした。(略)
 〔凄い奴〕だ。
 〔凄い奴〕が、本門寺・石段のいただきに凝と息をひそめて、二人を
  待ちうけていたのである。
 「あっ、録……」
  いいかけて平蔵が、自分のん傍を転げ落ちて行った録之助の安否を
  たしかめる間とてなかった。五、六段を一気に走り下りて来た〔凄い奴〕
  が、低く腰を落して、下からすくいあげるように一刀を平蔵へ
  送りこんで来た。

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 われわれ同じように、〔凄い奴〕も裏道を知っていて先回りしたのかも知れない。
 訪問は小雪の季節のほか桜花(はな)の時期、紫陽花のころ、蝉しぐれ、紅葉の風情もすばらしい。



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