« 0303深大寺 | メイン | 0305国分寺 »

2006年02月19日

0304深大寺蕎麦

『江戸名所図会』巻之三 天?之部

つぶやき:

蕎麦好きの鬼平が、深大寺蕎麦を口にしないのが不思議。

 

                                 鬼平熱愛倶楽部 2001   相州藤沢宿の秋山太兵衛

投稿者 nishiot : 2006年02月19日 08:46

コメント

忘れもしません、平林寺は平成16年11月27日、私が鬼平熱愛倶楽部に初めて参加させていただいた日です。 この年は猛暑でいつまでも暑く平林寺のカエデもまだ紅葉していないものもありました。

投稿者 亀戸のおK : 2006年02月28日 15:16


おKさんは平林寺へはいらっしゃったのでしたっけ? あそこの楓の紅葉は11月下旬でしたね? 同じ、黄葉、紅葉といっても一色(ひといろ)ではないようですね。注意して観察しないと。

投稿者 西尾 忠久 : 2006年02月28日 11:37


新蕎麦は秋の季語になっていました。 新蕎麦の時期は10月中旬のようです。2006年10月15日は旧暦では8月24日でした。今年の立秋8月8日は旧暦では7月15日で立冬11月7日は旧暦9月7日ですから。新蕎麦は旧暦でも秋の真っ最中の食べ物のようです。 イチョウの黄葉は東京では平年月で11月19日、ススキは関東平野で10月下旬だそうです。 新蕎麦の季節にはススキが出始めたばかりでイチョウはまだ黄葉していないようですね。

投稿者 亀戸のおK : 2006年02月28日 11:11


いやいや、一般論をいったまでですから。 おKさんの絵についていったのではありません。気にしないで。 新蕎麦がでるのは何月でしたっけ? すすきのころは、公孫樹の黄葉ははじまりましたっけ?

投稿者 西尾 忠久 : 2006年02月27日 17:16


私としては、黄葉したイチョウと手前には紅葉した樹木を配置して、河原には竜胆や萩の紫・赤紫と枯れた黄色の草を塗って秋を演出したつもりだったのですが。見えません?ショック

投稿者 亀戸のおK : 2006年02月27日 13:12


この絵もそうですが、薄(すすき)が描かれていたら、季節は秋なので、紅葉とか、落葉とかを配慮したいですね。

投稿者 西尾 忠久 : 2006年02月27日 11:35


深大寺は調布駅を北に少し進んだところに江戸から6里目(24キロ)小島一里塚の北部にあります。 「子どものための調布市の歴史」によると江戸時代、深大寺周辺の土地が米の生産に向かないため小作人は蕎麦を作り米の代わりに蕎麦粉を寺に納め、寺では蕎麦を打って来客をもてなしたのが深大寺蕎麦の始まりと伝えられています。 深大寺蕎麦が有名になったのは深大寺の総本山である上野寛永寺の門主第五世公弁法親王が深大寺蕎麦を大変気に入り、周りの人々をはじめ全国の諸大名にも深大寺蕎麦のおいしさを言い広めたからのようです。 そのため深大寺蕎麦の名が高まり、多くの家から深大寺へ蕎麦の使者が立つほどになりましたので深大寺蕎麦は「献上蕎麦」とも言われています。 また別の説では徳川第三代将軍家光が、鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って蕎麦を食べ、褒めたからだとも言われています。

投稿者 亀戸のおK : 2006年02月27日 11:30


コメントしてください

サイン・インを確認しました。
さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?