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0493装束畠衣装榎

『江戸名所図会』巻之五 玉衡之部

キャプション

毎歳十二月晦日の夜、諸方の狐夥しくここに集まり来(きた)ること恒例にして、いまにしかり。その灯(とも)せる火影(ほかげ) によりて、土民明くる年の豊凶を卜(うらな)ふとぞ。このこと宵にあり、また暁にありて、時刻定まることなし。

衣装榎稲荷神社(北区王子2-30)

広重『名所江戸百景』[王子装束ゑの木大晦日の狐火]

 

『御宿かわせみ』に登場

 [16-3 黒船稲荷の狐]p71 新装p72

 

SBS学苑パルシェ(静岡) 〔鬼平〕クラス 2151 落合千恵子

コメント

この絵は大好きな絵の一枚です。

西尾先生のおっしゃる通り、広重には摺師への制約があったのですね。

あの構図は広重の芸術的センスだと思います。ポイントに引き込まれていきます。

>エムさん

掬(すく)いとっていただき、ありがとうございます。
別に芸術論や表現論をやっているのではなく、その場その場での、雪旦の気持ち、広重の心情を想像しているだけなんですけど。
それが、小説読んでるみたいに、けっこうおもしろくって。

それと、これはエムさんの分野にも多少関係してくるとおもうのですが、雪旦も広重も、ある制約を背負っていたということ。

雪旦の場合は彫り師のできる範囲の---という。
広重はさらに、プラス刷り師の技。
広重がああいう色使いをしているのは、その制約下の結果なんでしょうね。

モノクロの雪旦に塗るのはかなりな高い自由度がありますから、むしろ、広重が気の毒にもおもえます。

逆にいうと、塗り絵の場合、浮世絵系統や油絵系統の絵は、塗り絵には適していないということ。水彩絵具や色鉛筆を使っていて、彫り師・刷り師の制約に従うのはバカげているとさえいえるようです。

このあたり、もうすこし、つめてかんがえてみます(エムさんの口真似)。

管理人さんが、江戸名所図会の彩色をされなかったら、なかなか素人は雪旦と広重を同じ土俵に乗せて比較することも思いつかなかったんじゃないかと思います。
でもこうして見せて解説を添えて頂くと、「雪旦&管理人さんペア」作品と広重作品の比較も、そして構図や趣向に注目した 雪旦対広重の比較もいろいろ気付くことができますね。

勉強させて頂いています。

狐火といわれているのは、大晦日で、遅くまで掛取りに走り回っている商人の提灯の灯だ、とバラしたのは、明治・大正期の実業家の鹿嶋萬兵衛『江戸の夕栄』(中公文庫)です。

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