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2006年03月13日

0542時雨岡 不動堂

『江戸名所図会』巻之六 開陽之部

キャプション

『回国雑記』 霜の夜あらはれにけり時雨をば忍びの岡の松もかひなし 道興准后

(台東区根岸4-9)

『剣客商売』に登場

  [5-2 西村屋お小夜]p76 新装p83
    [7-6 越後屋騒ぎ]p286 新装p312

『御宿かわせみ』に登場

時雨岡不動堂(御行の松)
 [8-8 白萩屋敷の月]p227 新装p235
 [10-1 蛍沢の怨霊]p32 新装p33
 [10-2 金魚の怪]p32 新装p33
 [22-7 清姫おりょう]p237
 [24-3 日暮里の殺人]


 

 

 

投稿者 nishiot : 2006年03月13日 07:07

コメント

「ほう。初代は350年もの樹齢を保ちましたか」 ハンドル・ネーム「亀戸(かめいど)のおK」さんのリポートに嘆声をあげた。 亀戸のおKさんは、鬼平熱愛倶楽部の有志の一人で、こんどの塗り絵展の画題に「御行の松」があたった。 鬼平熱愛倶楽部(江東区地域振興財団傘下の森下文化センターの自主グループ)の有志は、10年ほど前から、3か月ごとくらいのペースで、『江戸名所図会』の塗り絵展をつづけ、こんどのテーマ[江戸の名物松 お松さん]が71回目展となる。 松は江戸を代表する樹木の一つだった。『名所図会』に挿入されている670余景のうちの85パーセントほどに松樹が描かれている。 なかでも、名を冠された---つまり、有名な松は40樹ほど。「御行の松」はその1本。 命名のゆえんは、上野寛永時門主が寛永年間にこの樹の下で行法を修したというのが、350年という樹齢にもっとも近い。 高さ13.5メートル、幹囲4メートル強。大正15年(1926)に天然記念物の指定をうけたことに満足したように、翌々昭和3年(1928)に枯死。 2代目は育たず、昭和51年(1976)年に植えた3代目がうまく根をはっているとは、管理側・西蔵院(台東区根岸 3-12-38)をおKさんが取材したリポートから。 『風俗画報』(明治41年 2月25日号)の山本松谷氏の「御行の松」の挿絵は、列をなした見物人を描いている。 なるほど、松は常緑---桜や梅のように見ごろが決まってなく、年中、観光客を呼べる。『名所図会』に名物松が多いのにも、それなりの理があることを、「御行の松」リポートで学んだ。

投稿者 ちゅうすけ : 2006年09月26日 13:12


現在の松は3代目    「時雨岡のお不動様」は別名で正式には「西蔵院」。不動堂は昔より西蔵院(根岸3-12-38)の飛び地境内。 初代の松    大正15年に天然記念物の指定を受け、高さ13.63m、幹回り4.09m、樹齢350年と推定された。枝は大きな傘を広げた様で、遠くからもその姿が確認出来たという。    しかし、天災や環境悪化のため昭和3年に枯死。同5年に伐採。    明治初期の山本松谷画による「初代御行の松」の絵版画は西蔵院に現存。 初代の松の根    戦後、初代の松の根を掘り起こし保存。不動堂の中にこの根の一部で彫った不動明王像を祀り、西蔵院と地元の不動講の人々によって護持されている。    不動明王像は下谷2丁目大工の桜田幸三郎さんが彫った40cmぐらいの像です。 二代目の松    昭和31年に上野中学校校庭から移植したが、これも枯死 三代目の松    昭和51年8月に三代目の松を植えた。これは根付いてすくすくと伸びている。 御行の松の名の由来    定説は無いが、一説には松の下で寛永寺門主輪王寺宮が行法を修したからとも、松の根方でいつも休んだからともいわれる。また、この地を”時雨が岡”といったところから、    別名”時雨の松”とも呼ばれた。 (大筋は台東区教育委員会説明板より)

投稿者 亀戸のおK : 2006年08月31日 11:29


西行院不動堂 御行の松のことですね。 1928年枯死

投稿者 豊島のお幾 : 2006年03月17日 11:49


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