(金子半四郎は)平蔵が井上医師邸へ入るのをたしかめた。編笠と袴をぬぎ、これを日蔭町通りの〔稲荷社〕の境内の木陰へ隠し……。


東海道筋の芝口1丁目〜3丁目の表通りの1本西を走っていた狭い裏通りが、通称・芝日蔭町通り。
日蔭町通りにあった日比谷稲荷祠は、現在では日比谷神社と社号を改め、港区 新橋 4丁目 13の5に鎮座まします。

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尾張屋版


明治32年頃の日蔭町(『新撰東京名所図会』)


日比谷稲荷社(『江戸名所図会』)

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