そのころの平蔵が〔本所の銕〕の異名をもってよばれ、無頼放埒のかぎりをつくしていたことは、すでにのべておいた。

平蔵の放蕩説には、いささか異議がある。彼が18歳のとき、本家の長谷川太郎兵衛が火盗改メの助役についていたから、悪所への出入りは、伯父のための情報収集だったのではなかろうか。
とはいえ小説では、本所・横川ぞいの法恩寺西、出村町の高杉銀平道場へは熱心に通っていたことになっている。

法恩寺(『江戸名所図会』)
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