「約束通り、いのちは助けてやろう」
 「お、おありがとう存じ……」
 「佃島の寄場へ入ってつとめろ。左手ひとつでも出来る仕事はある……」


江戸市中の無宿人を収容した石川島の人足寄場は、長谷川平蔵の建議により、寛政2年(1790)早春に開設。平蔵は火盗改メ兼職でその取扱を命じられた。血を吐く思いで運営を軌道にのせたところを、寛政4年に解職、後任に家格が数等おちる村田鉄太郎が任じられた。老中首座・松平定信の失政人事だった。
『江戸名所図会』で、河口の向うに描かれているのが石川島。

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尾張屋版


湊稲荷神社(『江戸名所図会』) 
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