2004年 12月

――敬称略・逆日付順――


12月14日



12月14日
2004年12月11日(土)  

大滝村について

発信:(滋賀県犬上郡))多賀町役場企画課

お問い合わせの件につきまして、お答えします。
1.大滝村が多賀町に編入された経緯
明治22年(1889)4月1日に町村制が施行されて、多賀、久徳、芹谷、脇ヶ畑、大滝村として五つの行政単位となった。
昭和16年(1941)11月3日、多賀、久徳、芹谷の3か村が合併して旧多賀町となった。
昭和30年(1955)4月1日、脇ヶ畑、大滝村が多賀町に合併された。このときの旧多賀町の人口 6,765人、大滝村 3,685人、脇ヶ畑村 264人。

2.江戸時代の大滝村の人口・戸数など
明治22年に大滝村となったわけで、江戸時代には同村名はなかったので、計算不可能。、

3.池波さんが多賀町を訪問されたかどうかは残念ながら不明。

管理者:西尾からのレス―――

以上は、10月22日、当コーナーに寄せた、朝日CC〔鬼平〕クラスの堀之内勝一さんの、〔大滝〕の五郎蔵の〔大滝〕をめくっての、『侠客』(新潮文庫)p 215の文章により、多賀町役場へ送った問い合わせへの回答です。
池波さんが座右に置いて離さなかった吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治38年〜)は、大滝村について、

大滝(おおたき) 東甲良村の東なる山村にして犬上川の源なり、大字富之尾、一之瀬、佐目、大君畑(おぎがはた)等に分れ、山谷方三、四里の広を占め、東嶺は三国岳と称し、江濃勢(注・近江と美濃と伊勢)三州の交界なり。
北は芹谷と峰を隔て、南は小椋谷(愛知郡)と峰を隔つ。其勢州員弁郡に通ずる山径を焼尾(ヤギヲ)越と曰ふ。
○大滝は、犬上明神を滝宮と称し、傍に瀑布あるによる。山槐記、近江名所の一に大滝山と云は是なり。 布さらすふもとの里の数そへて卯の花さける大たきの山〔藻塩草〕 俊成


大滝村を構成した大字・富之尾、一之瀬、佐目など
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