『鬼平犯科帳』について


2004年09月18日(土)  19:00

「南湖」の読み方

発信:鬼平熱愛倶楽部 秋山太兵衛

9月1日[お気軽 書き込み帳]に、文庫巻15[雲竜剣]で、剣客医師・堀本伯道と鍵師・助治郎が経済的に援助している報謝宿のある「南湖」は、「なんこ」と読むのか、それとも聖典のふられているとおり「なんご」なのか、との書き込みがありました。
1,茅ヶ崎市の市民課に問い合わせました。「なんご」と濁るとの解答でした。
2.『角川 日本地名大辞典 神奈川県』にも「なんご」とふられていました。
また、大正13年に茅ヶ崎町を30行政区に分けた際に、南湖上・中・下町という名称にしたと書かれています。
3.大正 5年の地図にも、茅ヶ崎の町村はもとより、大字にも南湖はありません。
小字に上南湖、下南湖、東南湖下、西南湖下とあります。
4.昭和12年の昭和礼文社『大日本分県地図併地名総覧』の地図に、茅ヶ崎の南西に「南湖」とでていますが、やはり町村、大字ではありませんでした。
 以上、いずれの資料でも「なんこ」とふりがなされたものはありませんでした。
 聖典どおり「なんご」と濁って読まれているようです。

明治20年刊の地図には載っていない「南湖」だが、『五街道細見』の記述から推測すると……。
画像内 をクリックすると、拡大画面が表示されます。

管理者:西尾からのレス―――

秋山太兵衛さん。
詳細なリポート、ありがとうございました。
かつて池波さんから、直木賞をもらってもさしたる注文もこなかったから「旅行ばかりしていたよ」といわれたことがあります。藤沢、茅ヶ崎あたりの取材もその当時にしていたのかも。

文庫巻15[雲竜剣]p189 新装p195  鍵師・助治郎が「南湖立場」の先で街道を相模湾がわへ左に切れ味ます。「南湖」が立場になっていることは『五街道細見』には明記されてはいません。
池波さんは、太田南畝が公用で大坂へ赴したときの『改元紀行』(1801)に「南湖立場」で休息した記録を読んだのかも知れませんね。


幕府道中奉行製作『東海道分延絵図』 茅ヶ崎村の左手の道の中の文字が南湖立場。



2004年08月04日(水)

「五月闇」

発信:管理者の西尾から―――

文庫巻14[五月闇]は、密偵の伊三次が刺殺される話ですが、『東海道名所図会』をくっていて小説の題名のネタはこれかな、という古歌をみつけましたので。

(古々井の杜 伊豆権現の西北にあり)
   五月闇 ここゐの杜の 時鳥
     人しれずのみ 鳴き渡るかな
    (藤原兼房)

辞書は「五月闇」を、梅雨のころの夜が暗いこと……としています。
さらに季語で引くと、

   五月闇 おぼつかなきに ほととぎす
     鳴くなる声の いとど遥けき
  (朗詠集・郭公)

   五月闇 しらはし山の ほととぎす
     おぼつかなくも 鳴き渡るかな
(拾遺・夏・一二四)

など、ほととぎす関連で歌われています。
「五月闇」のほかは、季語から援用されていそうな題名は文庫巻9[狐雨]、巻11[雨隠れの鶴吉]、巻21[春の淡雪]、巻22[引鶴]あたりでしょうか。



2004年07月10日(土)

[江戸怪盗記]と[妖盗葵小僧]

発信:管理者の西尾から―――

1968年の『オール讀物』11月号に発表され、文庫巻2に収録されている[妖盗葵小僧]は、その4年前の1964年1月6日号の『週刊新潮』の掲載された[江戸怪盗記]を、ふくらませた作品です。
原稿枚数でいうと、

[妖盗葵小僧] 135枚
[江戸怪盗記] 41枚


このふくらましには、06月05日と06月17日の当[週刊掲示板]にご披露した第40回直木賞候補作[応仁の乱]と第43回直木賞受賞作[錯乱]についての吉川英治さんの選評を強く意識しての「ふくらませ」とおもうのは、ぼくだけでしょうか。
再録しますと、

[応仁の乱]評
池波正太郎氏の題材負けはどうしたものか。むしろ東山時代の庭作りの眼だけにあれを凝縮させて、善阿弥、芸阿弥、相阿弥などの系譜をつらぬいたものとしたらなおまとまっていたろうと思う。


[錯乱]評
池波正太郎氏のたいする私の考えはこの前の「応仁の乱」のときの寸評で私はかなり言ってある。こんどの「錯乱」についてもあれと同じことをくり返すのみである。


つまり、せっかくのネタはゆっくりと熟成させ、それにふさわしい分量の作品にしあげたほうがいい……というのです。
長谷川平蔵を主人公に据えた『鬼平犯科帳』の連載が実現したとき、[江戸怪盗記]では幕切れにチラッとしか登場しなかった平蔵を事件の最初からからませた形で「ふくらませ」てみたいと、『オール讀物』編集部側の了解をとりつけたのでしょう。

さらにいうと、元の[江戸怪盗記]では、長谷川平蔵は市中見廻りをしていて偶然に葵小僧一味にであいますが、ふくらませた[妖盗葵小僧]では、「声色」という手がかりから人相書をつくり、その人相書によって声を騙られた側が犯人の一人を特定するという推理過程が書かれます。
『鬼平犯科帳』は第11話目[妖盗葵小僧]によって初めて、平蔵流の探索法が明らかにしたともいえます。みちろん、粂八という密偵がすでに存在していたことも、欠かすことができませんが。



2004年06月05日(土)

『鬼平犯科帳』が〔とり〕

発信:文藝春秋 デジタル制作部 檀原さん

『鬼平犯科帳』はいつから『オール讀物』の〔とり〕をとったか、とのご質問ですが、1970(昭和45年)の新年特大号からのようです。


『オール讀物』昭和45年新年特大号(1月号)の目次(部分)


『オール讀物』昭和45年新春特大号(2月号)の目次(部分)


管理者:西尾からのレス

[密通]といえば、『鬼平犯科帳』の第24話……つまり連載2年目の末、ということになります。連載3年目を目前にして〔とり……巻末〕をとったということは、それだけ読者の反響が大きかったということでしょう。
おまさ初登場篇[血闘]は第25話。読者層がいよいよひろがったことがうかがえます。
ご教示、ありがとうございました。



2004年05月15日(土)

「長伝寺」と「長善寺」

発信:学習院生涯学習センター[鬼平]クラス.
   堀 眞治郎さん

『江戸名所図会』の「麻布一本松」の絵の、名物松のたもとの茶店の看板には〔ふじ岡〕の屋号が記されています。そのことに気づいた池波先生は、文庫巻9[本門寺暮雪]p140 新装p148 で、〔凄い奴〕を、わざわざ、その〔ふじ岡〕へ入らせ、裏から消えさます。
この一事をみても、池波先生が、いかに入念に『図会』の絵を見ておられたということがわかります。が、同じ絵の左端の寺には「長伝寺」と寺号が書かれているのに、[本門寺暮雪]でも、文庫巻21[麻布一本松]p80 新装p82でも、「長伝寺」を「長善寺」とされているのは、どういうわけでしょう?


麻布一本松(『江戸名所図会』)


〔ふじ岡〕


「長伝寺」


管理者:西尾からのレス

池波さんがもっぱら愛用されていた切絵図は近吾堂近江屋板でした。この近江屋板が「長善寺」と誤刻しているのをそのまま写してしまった……。『図会』の茶店の看板の〔ふじ岡〕に気づいたのはそのずっと前で、いつか小説の中で使ってやろうと、いたずらっ子のように考えいたのでしょう。で、執筆時には[麻布一本松]の寺号を確認しなかった、と解釈しました。

「長善寺]と誤刻した[麻布・広尾辺図](近江屋板・部分)

屋号のことでいうと、『図会』の目黒の「太鼓橋」の橋ぎわのしるこ餅が名代の茶店の屋号も、池波さんは『剣客商売』文庫巻5[手裏剣お秀]p147 新装p161 、文庫巻9[秘密]p149 新装p161 で使っています。


「太鼓橋」(『江戸名所図会』)


〔正月屋〕の看板



2003年12月08日(月)  21:25

「しゃも鍋」を食べてきました

発信:学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス
   兎忠さん

中学時代の同級生6人――なかの一人が鬼平のファンで、どうしても「しゃも鍋」を食べてみたい、というので、昨日、〔かど家〕で「しゃも鍋」を食べてきました!
先夜は出なかった砂肝のお刺身を、またまた生まれて初めて賞味してきました。


〔かど家〕の「しゃも鍋」 材料


同 炊き始め


同 炊き上がり(コース \8,000〜)


管理者:西尾からのレス

先日、〔かど家〕で50年間も包丁をにぎってきた料理長氏が、池波さんへも「しゃも鍋」を供したことがあり、〔五鉄〕のモデルと、読売新聞の記者へ言ったとか。
〔五鉄〕のモデルうんぬんは、池波さんともども、読売新聞「映画広告賞」の審査員をしていたとき、池波さんへじかに「〔坊主しゃも〕の女将が、〔五鉄〕のモデルはうち……といっていますが」と告げました。
池波さんから、「いや。鬼平の時代、両国橋の東詰に鶏市場があったので、あのあたりには鶏なべ屋やしゃも鍋屋がたくさんあったんだよ。だから、モデルはない」との返事が返ってきました。
この経緯は、池波さん責任編集『オール讀物』(1989年07月臨時増刊号)[鬼平犯科帳の世界](のち同題の文春文庫)の拙稿「江戸ショッピング案内」に記しました。
〔かど家〕や〔坊主しゃも〕が「自分のところがモデル」と主張するのは、まあ、自由ですが、真相は上記のとおりです。
そんなことより、料理がおいしいか、どうか、ですね。



2003年12月08日(月)  11:19

〔鬼平糖〕の命名の経緯

発信:ミヤト製菓(株)(茨城県猿島郡三和町)
   本社統括部長・宮戸さん

極太のかりんとうなので、「鬼かりんとう」と呼んでいのす。ただし、〔鬼かりんとう〕は他メーカーに名称登録をされておりますので、〔鬼平糖〕にて名称登録した次第です。
ちなみに、テレビ版『鬼平犯科帳』のロケ打ち上げにも使用されており、社内応接室には『鬼平犯科帳を助太刀いたす』(西尾忠久著)ほか、鬼平がらみの本を展示しております。

ミヤト製菓の〔鬼平糖〕
1袋スーパーで\280前後。
モンブランの最太軸ペンと太さを比べると……。


管理者:西尾からのレス

12月03日付、読売新聞 室記者のコメントから発した〔鬼平糖〕談義の決着です。



2003年12月02日(火)  19:24

本門寺総門前の〔弥惣〕のせんべい

発信:森下文化センター〔鬼平〕熱愛倶楽部
   おまささん

11月24日付で[本門寺暮雪]で「葛餅」が話題になっていますよね。
それで思い出したことが1つ。
史跡ウォーキングで歩いた時、総門前の茶店〔弥惣〕の場所があったとされるところに、確か、おせんべい屋さんらしきものがあったような・・・。
そこのおせんべいは「かわらせんべい」でした。
[本門寺暮雪]の話のなかで重要な役割をになう、柴犬の「タロ君あらためクマ君」は鬼平から〔弥惣〕の煎餅を買ってもらって食べますけど、小説では「煎餅」としか書かれてないので「どんな味の煎餅」かは不明ですが、テレビ版[本門寺暮雪]では普通の(?)煎餅でした(笑)。
みんなで「池波先生は総門前の「かわらせんべい」を頭に浮かべてた書いたかもしれないのに、テレビの小道具さんは総門前に考証に来なかったのかな〜。テレビ版も「かわらせんべい」だったら面白かったのにね〜。」と話をしました。
クマ君が食べたお煎餅は本当は何味だったのだろう? 気になるぅ〜。


管理者:西尾からのレス

文庫巻 8[本門寺暮雪]の〔弥惣〕のは、おまささんの指摘どおり、「かわらせんべい」だったかも。
クマと改名後は、市ヶ谷・左門坂上の菓子舗〔桔梗屋〕の「喜楽煎餅」が好物でしたね。これは「糯米(もちごめ)を薄く軽く、亀の子の形に焼きあげ、上質の白砂糖を刷(は)」いたもの。(同巻 9[狐雨]p251 新装p262)「喜楽煎餅」を売っていたかどうかは別にして、市ヶ谷・左門坂上には、〔桔梗屋〕という高級菓子舗は実際にありました。


『江戸買物独案内』(文政 7年…1824…刊)掲載の菓子舗〔桔梗屋〕

ちなみに鬼平夫人・久栄さんの好物は、神田川に架かる昌平橋の北詰・湯島横町の菓子舗〔近江や〕の薄焼砂糖煎餅の「羽衣煎餅」でしたね。(同巻 1[暗剣白梅香]p204 新装p216 、巻16[網虫のお吉]p58 新装p61、巻17[見張りの日々]p249 新装p255 )
文庫巻11[泣き味噌屋]には、川村弥助同心の妻女さとの実家で喰違門外、四谷仲町の菓子舗〔栄風堂 和泉屋〕の「初霜煎餅」が紹介されています。小麦粉と糯米(もちごめ)粉と鶏卵を合せて焼きあげた軽焼煎餅と。p136 新装p142
巻18[一寸の虫]にも、若年寄・京極備前守からすすめられた本銀町(ほんしろがねちょう)の菓子補〔橘屋〕の名代、鶏卵をつかった薄焼煎餅のような「賀茂の月]が出てきますね。
ケーキづくりはベテランのおまささんなら、味の連想はお手のものでしょう。



2003年11月22日(土)

大森の麦藁細工・ネズミとハト

発信:西尾からのリポート

『鬼平犯科帳』ほかの作品執筆に、池波さんが『江戸名所図会』を発想のバネとしていたことは、当ホームページで幾度となく報告してきました。
凡例。文庫巻7[穴]では、掘った穴から忍びこんだ隣家〔壷屋〕の金蔵へ、のこしてくる藁細工のネズミは、〔平野屋〕源助が川崎大師へ参詣した帰りに大森の麦藁細工店で買ったものである、とか。

大森名産の麦藁細工(右手の下段の棚のネズミ)

部分拡大

じつは大森の麦藁細工、文庫巻7[泥鰌の和助始末]で、市ヶ谷田町の鰻屋〔喜多川〕を訪ねた和助が同類である証しの合図として、亭主の惣七へ、

「へい。これを」
 土間へ入って和助が出して見せたのは、大森産・麦わら細工の鳩であった。

p162 新装p170

 ハトは、同じ『図会』絵の左下、女の子の向こうに10羽ほど描かれています。


部分拡大

こういう「神は細部に宿る」というか、茶目っけも、池波小説の真骨頂の一つでしょう。

 わいわい〔泥鰌〕の和助 ←こちらをクリック



2003年11月08日(土)  21:04

千石の資格でつとめる火付盗賊改方の長官が…?

発信:学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス
   堀 眞治郎

池波先生のアラ探しばかりやりおって、と云われそうで躊躇していましたが、思い切って投信します。
文庫巻 8[流星]』を読み返していて、p190、

いかに平蔵が「下情(かじょう)に通じている」とはいえ、四百石の旗本で、いまは千石の資格でつとめる火付盗賊改方の長官が、千住節までおぼえているとは……

に、びっくりしました。
前に読んだ時は何も感じなかったのですが! 火付盗賊改方長官の「役高は千五百石」と教わりましたので、池波先生の勘違い、誤植…と考えましたが、池波先生に勘違いを起こさせるような史料等があるのでしょうか?
 単なる間違いとしたら、編集者、校正者は何やってんでしょう! 完本では訂正されているのでしょうか? ご教示、お願い致します。


管理者:西尾からのレス

結論から申しあげます。
新装版p200 も、『完本 池波正太郎 大成5』p230 も堀さんお手持ちの文庫版のとおりで、直ってはいません。火付盗賊改方長官の役高については、『柳営補任(りゅうえいぶにん)』に、

元御役料五百俵、天和二年戌(1616)四月廿一日御役料地方直御加増、其後千五百高三百俵御役料被下、享保八年卯(1723)六月十八日ヨリ千五百高定ル

享保 8年は平蔵が火盗改メに任命される約50年前ですから、千石は明らかに池波さんの「弘法も筆のあやまり」です。『完本 池波正太郎 大成』の編集責任者・小島 香さんからのお手紙に「いろいろ、誤植がありますが……」とありましたから、お気づきにはなってはいたでしょうが、作者が物故されたのちの編集ですから、直しようがなかったのでしょう。
それにしても、文春にも優れた校正者がいらっしゃるでしょうにね。


『完本 池波正太郎 大成5』(講談社 1998. 7.20)



2003年10月14日(火) 08:11

池波先生の遊びごころ

発信:森下文化センター〔鬼平〕熱愛倶楽部
   おまささん

[鯉肝のお里]の「鯉」のつくりの「里」から女賊の名前が「お里」……といったような、池波さんの遊びこごろがいろいろ隠されているから探してごらん……といわれても、なかなか探せません。一つ、二つ公開してください。


管理者:西尾からのレス

講義ダネだから、おいそれとは公開できないんだけど、せっかくだから1例を。
池波家の菩提寺が浅草の西光寺(真宗 台東区西浅草 1- 6- 2)なことは、おまささんも熱愛倶楽部の史跡ウォーキングで詣でたからご存じですね。
この西光寺は、『剣客商売』巻1[御老中毒殺]p281 新装p307 にさりげなく登場しているんだけど……。
『鬼平犯科帳』では、おまさ初顔見せの巻4[血闘]で、葛飾区の西光寺(天台宗 四ツ木 1-25- 8)の鐘が鳴るp126 新装p134 のは別として、巻17[鬼火]p98 新装p101 で、小石川片町の西光寺が登場します。架空の寺なので寺号はなんだっていいのに、わざわざ自家の菩提寺の名にしたのは、気がついた読み手が笑うことを池波さんが期待してのことでしょうね。

池波家の菩提寺:浅草の西光寺



2003年07月16日(水) 07:36

時代劇のロケ地

発信:西宮市在住 円満字正通さん

お久しぶりです。
先刻ご承知かもと思いますが、インターネットをぶらついていたら、次のようなものが目にとまりました。
下鴨糺の森が江戸で「鬼平」の舞台になっているのを見て、ふとあなたの事を思い出しましたので一筆。

 時代劇ロケ地資料
 http://www80.sakura.ne.jp/~agua2/film/data.html


管理者:西尾からのレス

朝からネット・サーフィン……旺盛な好奇心は、相変わらずですね。いや、感服、感服。
ご教示に従い、さっそく、アクセスしてみましょう。



2003年06月24日 14:48

『鬼平犯科帳』の長期連載が決まった時期

発信:管理者・西尾のリサーチ報告

 06月08日付で、猪名川さんがエッセイ集3『わが家の夕めし』から、

 はじめは1年の連載で、死を迎えるまでの長谷川平蔵を書いてとまうつもりだったが……

をお引きになりました。
ぼくは、別のどのエッセイかに、2年で終える予定だったと書いてあったのを覚えていたので、1年か2年かを検証するために、背景となっている年を入れてみました。
と、2年目の[密通]から年代が遡っているので、読者の強い要望で長期連載が決まったのは、[むかしの男][霧の七郎][五年目の客]の前後らしいと見えてきました。

■1年目
[1-1 唖の十蔵] 天明7年(1787)春〜秋
[1-2 本所・桜屋敷] 天明8年(1788)小正月
[1-3 血頭の丹兵衛] 天明8年(〃 )10月
[1-4 浅草・御厩河岸] 寛政元年(1789)夏〜秋
[1-5 老盗の夢] 寛政元年(1789)初夏〜暮れ
[1-6 暗剣白梅香] 寛政2年(1790)初春
[1-7 座頭と猿] 寛政2年(〃 )梅雨あけ
[1-8 むかしの女] 寛政2年(〃 )晩夏
[2-1 蛇の眼] 寛政3年(1791)初夏
*村田銕太郎昌敷が寄場奉行?
[2-1 女掏摸お富] 寛政3年(〃 )夏の陽ざし
[2-2 谷中・いろは茶屋] 寛政3年(〃 )梅雨あけ
[2-4 妖盗葵小僧] 寛政3年(〃 )秋〜翌年
[2-5 密偵] 寛政3年(〃 )初冬

■2年目

[2-6 お雪の乳房] 寛政4年(1792)晩秋
[2-7 埋蔵金千両] 寛政4年(〃 )末〜翌春
[3-1 麻布ねずみ坂] 寛政5年(1793)2月上旬
[3-2 盗法秘伝] 寛政5年(〃 )春
[3-3 艶婦の毒] 寛政5年(〃 )春
[3-4 兇剣]  寛政5年(〃 )晩春
[3-5 駿州・宇津谷峠]  寛政5年(〃 )初夏
[3-6 むかしの男] 寛政5年(〃 )初夏
[4-1 霧の七郎] 寛政5年(〃 )梅雨あけ
[4-2 五年目の客]  寛政5年(〃 )秋

■3年目
[4-3 密通] 天明8年(1788)11〜12月
[4-4 血闘] 寛政元年(1789)早春
[4-5 あばたの新助] 寛政6年(1794)春〜初夏
[4-6 おみね徳次郎] 寛政元年(1789)夏〜秋
[4-7 敵] 寛政元年(〃 )晩夏〜秋
[4-8 夜鷹殺し] 寛政元年(〃 )9月〜師走

ついでに、年表をおつくりになっている昭島在住の「おまさの亭主になりたい密偵(いぬ)」さんが、05月11日付で[蛇の眼]は寛政3年の事件ではないか……と提案されました。
こうして配列してみると、ご提案のほうが妥当のようにもおもえてきました。村田銕太郎昌敷が寄場奉行として発令された史実は、池波さんの勘違いということにしてしまいましょうか。



2003年06月15日(日) 17:23

エッセイ集5冊目『作家の四季』
――『寛政重修諸家譜』のこと――

発信:管理者の西尾

『おおげさがきらい』
『わたくしの旅』
『わが家の夕めし』
『新しいもの 古いもの』
につづいて最後の集、第5冊目『作家の四季』が出た。

エッセイ集5冊目『作家の四季』(講談社)

このエッセイ集は、『完本 池波正太郎大成 全30巻 別巻1』を講談社でおまとめになった小島 香さんが、『大成』に収録しきれなかった文章を編まれたものです。
鬼平研究者にとっては、まことにうれしいお仕事と、お礼を申しあげますが、昨年、定年で講談社をお引きになった小島さんは、敏腕で年期の入った編集者らしく、パソコンはおやりにならないから、この感謝の駄文もたぶんお目に触れることはないでしょう。
それはそれとして、『作家の四季』に『鬼平犯科帳』にも関連するこんな文章があります。

  徳川幕府が十四年の歳月をかけて、諸大名と幕臣の家系譜(かけいふ)を編(あ)んだ。〔寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ〕)全九巻を、ようやく手に入れたのは約三十年ほど前だったろう。

エッセイは『オール讀物』の昭和60年のいずれかの号に発表されています。30年ほど前といえば昭和30年か32,3年かも。長谷川伸師が主宰している『大衆文芸』誌に「恩田木工(真田騒動)」や「応仁の乱」を発表しながら、芝居の脚本を書き演出もしていたころです。

  いま新版が出ているが、当時は大正六年発行の栄進舎版の稀覯(きこう)本のみで、値段はたしか二十万円をこえていたとおもう。

ぼくが蔵しているのは池波さんのいう新版のほうで、(株)続群書類従完成会から昭和39年 2月25日の巻1から全23巻と索引4巻が順次刊行されました。

新版『寛政重修諸家譜』で長谷川平蔵家の家譜が収録されているのは巻14。


  手に入れて、見ているうちに、私が心をひかれたのは、四百石の旗本・長谷川平蔵宣以(のぶため)の家譜であった。
  読みすすむうち、長谷川平蔵という人物は私の想像を無限にひろげてくれたし、何としても芝居にしたいとおもった。

池波さんが長谷川平蔵をみつけたとおもえる経緯は、当HPの[井戸掘り人のリポート]の「鬼平が肉づけされた経緯を探る」に記しましていますから、そちらもお読みください。『寛政重修諸家譜』で長谷川平蔵を確認したのでしょう。
同時に、前任者の堀帯刀秀隆の家譜もあたるべきだったとおもいます。そうしたら、彼が 500石ではなく 1,500石の幕臣であったこともわかったはずだし、堀が火盗改メの本役のときに平蔵はその助役をつとめたことも知れたでしょうに、ね。

  おもいもかけず、小説のほうへ身を移すことになり、直木賞を受賞したので、ふたたび、平蔵の小説化をおもいたったわけだが、書けるようになるまでに五年はかかった。
  当時の私の文章は、平蔵を書くのに適していなかったからだ。

直木賞受賞は昭和35年(1960)池波さん37歳、『鬼平犯科帳』の連載開始は昭和43年(1968)からです。






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